キラキラの方へ。

しがないミソジのゆるふわ雑記

3月11日からの、いくつかの曲(bonobos編)

何事にも浅い人間ですが、今回はその浅さでbonobosの曲の話をしてみたいと思います。

去る3/5(日)にbonobosのライブへ行ったことをきっかけに思いたった話です。bonobosのライブへは東日本大震災前に1度行ったきりだった私にとっては、震災後のbonobosを一気に摂取したことになり、その変化がとても鮮やかに映りました。そこで、その変遷を私がライブで聴いた3曲を元にたどってみたいと思います。

3月11日付近にアップできればよかったのですが、間に合わず。でもこの世界はずっと”震災後”なわけですし…歌詞の中にある「夏至」にこじつけてあげちゃいます。※2017年の「夏至」は6/21だそうです。*1

 

bonobosについて([ bonobos ] ボノボ

音楽出版社サイトより

大阪発のダブ・ポップ・バンド。2001年8月結成当時は蔡忠浩(サイ・チュンホ/vo,g)のソロ・ユニットとして始動。関西を中心に着々と人気を集め、2003年にミニ・アルバム『Headphone Magic』でCDデビューを飾る。スカ、レゲエ、トロピカル・ミュージックなどをルーツとする巧みなダブ・サウンドが多方面で高評価を獲得。その後、メンバーチェンジを経ながら、2015年までに6枚のアルバムを発表。2015年7月以降は蔡のほか、森本夏子(b)、田中佑司(key)、小池龍平(g)、梅本浩亘(ds)の5名編成で活動を継続。2016年9月、7thアルバム『23区』をリリース。

bonobosは震災後すぐにフリーダウンロードできる曲『PRAY for』を制作したりもしてていたのですね!この記事を書くために検索している中で知りました。冒頭にも書きましたが、私自身はbonobosについてはこれまでアルバムを何枚か聴いたことがあり、震災前のライブに1回行ったことがあるだけ。色々知らな過ぎると思いますがご容赦ください。

 

 

まず、この曲から。ライブに行くきっかけになった曲なので、少々長くなりますが歌詞も追いつつ聴いてみたいと思います。 

1)『三月のプリズム』(アルバム『HYPER FOLK』より 発売日:2014/03/05)

www.youtube.com

三月のプリズム - bonobos - 歌詞 : 歌ネット

ゆったりとしたスピードと穏やかで懐かしいようなメロディからスタート。

りんごがね、今年はそれはそれは見事に染まったという

沖でも、それはたくさんの魚の群れを見かけたという

行方のわからぬアイツは、今も帰らんままだそうだが

ほっぺたの赤いあの娘は、ついに花嫁になるのだという

歌い出しから新鮮。話しかけてくるような、夜に読んでもらう昔話の始まりのような。そして歌い手から色々な報告をされていきます。どこの話かもわからないままだけれど、「そっかぁ、そうなんだね」と受け答えしたくなる。「それはそれは」「わからぬ」「帰らんまま」「ほっぺたの赤いあの娘」といった全体的に少し古めかしいくだけたニュアンスの言葉も、昔からあるわらべうたのような雰囲気をかもしだします。話題となるのは普遍的な自然と人間のサイクル。だから時を越える印象があるのかもしれません。「行方のわからぬアイツ」だけが心に引っかかる。でも人生、おめでたいこともあるのです。

お天道様

なんというか、ありがとう

どうもありがとう

感謝をささげる相手も「お天道様」と、プリミティブ。

そして願いと祈りが続きます。

なきべっちょらにずっと降り注ぐのが良いことばかりであることを願い

わたしたちは歌おう、悲しみにドッコイセェと土を盛り

そして、千年の一瞬を狂った渚にまっさらなあかりがつくのを見よう

ここでもあえて「なきべそづら」ではなく「なきべっちょら」*2。方言には古来の言葉づかいが残っているというので、どこかの土地の民謡のような雰囲気もたたえてきます。

そして「ドッコイセェ」。「悲しみ」に対抗するには、なんて日常的な飾り気のない言葉なのか。神聖で権威ある儀式のような特別なことじゃなく、日々の一仕事と言うかのごとくです。でも重いモノを持ち上げる、少しの気合がいるときの声。本当はすごくたくさんの気合がいる重労働なのだけれど、それを「ドッコイセェ」の言葉で和らげて日々の中で処理していこうとする切なさを感じさせるようにも思います。悲しみに土を盛る、という描写からは土葬という死のイメージも浮かんだり。

「わたしたちは」というところからは、みんなで声をかけあって奮闘するイメージもわいてきます。ここの部分の前半はリズミカルなので労働歌のようにも。

そして「千年の一瞬を狂った渚」が、とうとうはっきりと東日本大震災津波とリンク*3。「行方のわからぬアイツ」のことが改めて思い出されます。

すると、一気に脈もリズムも疾走感を増し、

三月はプリズム 鉛色の海に沈黙の詞をなげた

七夕が近づく夏至の夜に集い、ともに汗を拭った

登場する「プリズム」。全体を通してただ一つの外来語。そこで気になるのは「三月はプリズム」とは何を表現をしているのか?ということ。プリズムには太陽光を屈折させ、光の色を分解する機能があります。と考えると、日々にまぎれた情景(一色にしか見えない光)の別の側面をあらわにする存在と展開できるかもしれません。「三月」を東日本大震災の記憶と結びついた月と捉えると、「三月」は日常生活という当たり前の”光”を鮮やかに見せる「プリズム」のような存在であり、その「プリズム」が私たちに気がつかせるのは、慣れきって感じなくなっていた大切な存在についてなのかもしれないし、日々の雑事によって流していた違和感なのかもしれない。あるいは当たり前のように信じていた光(現在やそれに続く未来)が、方向を変えさせられたり自ら変えたりした瞬間を表すこともできるかもしれない。色々思い描けそうです。ただ、少なくともこの部分の雰囲気からは安らかではなく、切実な気持ちにさせられます。声の重なりにも、何か気持ちがざわつく。「三月」という「プリズム」によって、凝縮された濃厚な何かが弾け出すような。それでも海は答えてくれない。

わたしたちはたまさか交わり、そして友達になった

「たまさか」は「偶然。たまたま。」という意味だそう。震災によってつながれた縁なのでしょう。「七夕が近づく夏至の夜に集い、ともに汗を拭った」に続く「わたしたちはたまさか交わり、そして友達になった」、そして悲しみに土を盛る作業を組み合わせると、個人的には津波の被害にあった地域でのボランティア活動が思い出されました。5月に1日だけ参加しただけですが、マスクに軍手長靴で、作業中はサウナ状態。熱中症にならないように注意しあった記憶があります。色々な地域から集まったボランティアの人々が、日中はひたすら土をかき、夜毎に集い歌う様が浮かびました。

なきべっちょらにずっと降り注ぐのが良いことばかりであることを願い

わたしたちは歌を交わし、悲しみにドッコイセェと土を盛り

そして、千年の一瞬を狂った渚に懐かしいあかりがつくのを

「まっさら」でありながら「懐かしい」存在のあかり。それは一度失われ、戻ってきたから。渚につくあかり、ということで、船のあかりのイメージも。

そして一瞬の高ぶりから、落ち着きを取り戻していく。落ち着きを取り戻すのは海なのか心なのか。

時間の速すぎる流れにも意味があるというのか

想い出もぶっちぎるほどに速く訪れる、無遠慮な未来にさえ

少し疲れたような現実にかえったような静かな独白。「ぶっちぎる」という現代っぽい言葉には、つい出てしまった感情、「無遠慮な未来」へのやるせない怒りを感じる気がします。

最後に再び、今度はピアノの乱舞。

わたしたちは歌おう、悲しみにドッコイセェと土を盛り

そして、千年の一瞬を狂った渚にまっさらなあかりをつけよう

「つくのを見よう」と言っていた「あかり」を自分たちの手で「つけよう」と歌って、終わります。

改めて聴くと時折の音が波が引いたり押し寄せたりするように聴こえました。

 

実は、作詞作曲の蔡さんがこの曲に冠することをわりと話しています。(私が抱いたイメージと重なっていても違っていても、それはそれで、ということで…。)

まず、「実際『3月のプリズム』とかは、福島の小名浜について書いてる」*4 とのこと。蔡さんは2011年6月に福島県小名浜でライブをしているようです*5。その後2013年11月に再びライブで小名浜に行ったそう*6。再び訪れた小名浜について「震災直後に一度行ったときは真っ暗だったんですけど、こないだ行ったら車はびゅんびゅん走ってるし、人もたくさん集まってて、元気ではあるんですよ。ただ、生活が元通りになったかと言うとぜんぜんそんなことはなくて。そういう光景を見ながら、俺も震災から3年のあいだにいろんな変化があったけど、ここにいる人たちにもそれぞれの時間軸があって、日々の変化を生きてるんだなってことを再確認したんですね。」*7と話していることからも、たまさか交わった夏至は2011年6月のことで、その後2013年11月に再び出会い…という実体験がベースとなっているようでした。*8

この曲をYoutubeで初めて聴いた時、アルバム『オリハルコン日和』(発売日:2009/04/15)でbonobos暦がストップしていた私は衝撃を受けました。以前はもっと身近でささやかな愛とか愛する人との生活とかそうした中に幸せを見出したり見出そうよと歌っている印象が強かった。*9 もちろんそれは変わらずにあると思うのですが、人との関係性や何かの幅がもっと広がったというか、そんな印象を受けたのでした。さらにアルバムタイトルが『HYPER FOLK』と知って、この印象が確信的なものになり、私が逃していた時期のbonobosを追いかけなくてはならない!と思わされました。そして偶然3/5(日)にあったbonobosライブへ、最新アルバム『23区』は聴ききれず、『ULTRA』と『HYPER FOLK』までをなんとか聴いて出かけたというわけです。

 

そのライブで『三月のプリズム』に続いて演奏されたのがこの曲でした。 

2)『あなたは太陽』(アルバム『ULTRA』より 発売日:2011/12/07)

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あなたは太陽 - bonobos - 歌詞 : 歌ネット

『三月のプリズム』の前、2011年12月に発売されたアルバムに収録されている、12分以上ある曲。『三月のプリズム』よりも、祈る想いだけが結晶化されたような曲だと感じました。賛歌、と多く評されていますね。管楽器の高らかな音。

歌詞の中にある具体的な体験は、出だしの子どもたちのシーンのみ。(それと、菜の花。)その後は歌い手による、子どもたちの未来への祈りが展開されます。一瞬の情景が永遠の時空へとひろがったかのような感覚。ライブでは「彗星と巡り会う空」から一つ一つの情景が、幸福な想像であるとともに、実際には手に入らない幻のようにも思え、たまらなくなりました。

冒頭で登場し、最後に何度も何度も繰り返される「菜の花」。ヒマワリが有名ですが、菜の花も、チェルノブイリ原発事故の時から放射性物質の吸収を期待されて植えられている花*10東日本大震災を境に色々なものがその内包する意味を変化させましたが、菜の花もその一つ*11。『おぼろ月夜』で「菜の花畠に入日薄れ」と歌われていたような、のどかなだけの風景ではいられなくなってしまった菜の花畑。しかし「デタラメな歌を歌ってる」子どもらがいる菜の花畑は、どういう背景があるとしても「圧倒的な輝き」があるという、複雑に幸福な心境を感じます。

ライブでのこの2曲の流れは本当に印象的で、完全に圧倒されのみこまれました。

 

そして最新『23区』へ。(ライブでの曲順は、すぐ後ではなかったかもしれません。アンコールだったみたいです!)

3)『23区』(アルバム『23区』より 発売日:2016/09/21)

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23区 - bonobos - 歌詞 : 歌ネット

最新アルバム『23区』は今流行として定着したシティポップ路線と評されることも多い模様*12。アルバムを聴かずにライブに行った私も、以前の曲から『23区』収録とおぼしき曲の演奏に入った瞬間に、雰囲気ががらっと変化するのを感じました。そしてその時、「あ、醒めた」となんとなく思ったんです。その印象が頭の中を駆け巡って、今のシティポップは何かから「醒めた」後の世界を歌っているのだという強い思いに駆られました。何から「醒めた」のか?それは、東日本大震災によって崩された、当たり前だと思っていた”日常”からなのかもしれないし、あるいは何かが目覚めたような気がした自分や社会からであったり、”絆”のようなものからなのかもしれない。それはわからないけれど、とにかく、何かから「醒めた」後に、それ以前とはイコールではないものの、再び訪れた”当たり前の日常”を、「醒めた」状態で何とか生きていこうとしているように感じたのでした。

今シティポップど真ん中にいるような人の歌声にクールな印象を受ける気がするのは、そういう「醒めた」感覚との相性が良いのかもしれないとも考えたり。そうした人達には、何も信じていない孤独や、すごく身近なもの(”仲間”など)だけへの信頼を抱えている印象が私にはあります。そして、MVで夜に徘徊したりドライブしがち。一方、甘い声でシティポップを歌う人達には「醒めた」世界の認識上にある、ささやかな魔法のような儚さを感じます。そこはかとない現実味の薄さと浮遊感。MVは夜の遊園地のような幻のような光がきらめくイメージ。今のシティポップには夜が似合う。

とにもかくにも、なんだか「醒めた」というキーワードによって、私にはストンと入るものがありました。

 

でも、bonobosの『23区』には現実味のある人肌くらいのあたたかさがあって。「醒めた」後でも世界を自分なりに愛し生きていこうとする気持ちが感じられました。それと同時に孤独をかみしめているような気持ちにもなる。私には、以前のbonobosの歌詞の中には愛する人との境界を感じさせず溶け合っているイメージがわくことが多いような気がしていたのですが、この曲からはとても信頼している人達や大切な人と一緒にいても拭えない孤独が描かれているように思いました。それでいて「クソったれ、愛してる」。そうしたところが「醒めた」後の世界の複雑さであり、都市的なのかもしれません。

 

3曲を追ってみて

各曲がもつ時間感覚や態度には特徴があるように感じます。

人生を超えて未来と溶けあい、祈りや願いを歌った『あなたは太陽』

人間サイズになって現在と過去との距離が生まれ、意志を感じる『三月のプリズム』

そして生活する個人の感覚に戻り、孤独と葛藤を抱えた『23区』

そこからは、あまりの出来事をいかに自分の中に落とし込もうか試行錯誤した時から、少し時間がたち記憶や感覚を改めて捉えなおした時を経て、記憶が日常に溶けて混ざりながら生きる今へ、というような移り変わりも感じ取れる気がしました。蔡さんとbonobosの曲を通して、何だか、震災後の人間の変遷の一例を見るような気持ちになる。3曲だけしかピックアップしていないので、どんな物語だって都合よく組み立てられてしまうし、実際にざくっとした感触ですが。

 

私は関東住みだし親族や友人が直接被害を受けたわけでもないです。けれど、その立場なりの東日本大震災の影響というものがあって、そして今日まで移り変わってきています。東日本大震災に限らず、その人にとって大きな影響を与えた何かと色々反応しあいながら、時に時間感覚を大きく変えることで対応しながら、生きていく。どの感覚が良いとか悪いとかではなく。変化したらいけないとか変化しなきゃいけないとかでもなく。

 

ちなみに!bonobos 日比谷野音ワンマン(仮)が8/12(土)にあります。しかもチケットの一般販売が6/27(日)からだそうです。全く宣伝効果はない記事だと思うけれど、ねらって書いたみたいになっていてびっくり(笑)ライブ、絶対素敵なんだろうな。*13

最後に、3/5(日)のライブの感想を追加させてもらうと、『THANK YOU FOR THE MUSIC』がめっちゃかっこいいアレンジになっていて上がりました!私がbonobosに出会ったアルバム『electlyric』収録曲で、今も好きな曲が、新たな息吹を吹き込まれて定番であり続けていることがうれしかったです。

↓この中に私もいたのか!w

www.youtube.com

 

*1:この記事を上げるのにちょっとだけ躊躇する気持ちがあったのですが、先日チェルフィッチュの『部屋に流れる時間の旅』を見て気持ちが後押しされました。何時の感情も確かに在ったもの。しかし時間は流れて行く。※記事内容を寄せているわけではないです。

*2:「べっちょ」というのは仙台等の東北方面の方言であるもよう。ここまでしか調べていないので、もしかしたら「つら(顔)」=「ら」ではないかもしれません。

*3:国土省の資料http://www.mlit.go.jp/common/000227028.pdfに、「今回の津波は貞観津波(869年)クラスかそれ以上で、発生頻度は500年から1000年に一度。」との記述。

*4:いまっぽい〈黒さ〉で都会を描く――新生bonobosが表現した東京という街 - OTOTOY

*5:FEATURE | 蔡さんと過ごした夕べ - 小名浜発|地産クリエイティブを伝えるウェブマガジン

*6:bonobos 6th Album「HYPER FOLK」特設サイトでの蔡さん「たしかに『ULTRA』のときはわりと引いた視線で書いていたような気がします。今回も基本的には変わらないんですけど、去年の11月にライヴで福島県小名浜に行った影響はあるのかもしれない。」

*7:bonobos 6th Album「HYPER FOLK」特設サイト

*8:ちなみに、MVで結婚式の招待状は福島県いわき市から届くのですね。実際に福島県での撮影も行なったそうです。bonobos 6th Album「HYPER FOLK」特設サイトでの、蔡さん発言に「たとえば「三月のプリズム」のPVを福島県で撮ってたりとか、そういうことはもちろんあるんですけど、歌詞や曲で何かメッセージを伝えたいっていうことはあんまりなくて。」と。

*9:そして私はそれがちょっと苦手だったのです。『electlyric』でbonobosを知ってからゆるく追っており、『オリハルコン日和』頃が初ライブでした。その頃の曲の雰囲気からも感じてはいたのですが、ライブでの”幸福感”がものすごくて、かえって少し怖くなりました。冷静に考えて私はそんなに幸せじゃないし、世界も私にはそんなに幸せそうに見えない。なのにこんなに幸せな気持ちになることが、まるで洗脳されたか酔っぱらっているかのようで。ほんとにほんとに語弊がありますが。それだけ影響力のあるライブだったのだということですし、あくまで私個人の中での葛藤です。ただ、そうしたひどくこじらせた感覚があって以降『三月のプリズム』をYoutubeで聴くまで、bonobosからなんとなく足が遠のいていたわけです。

*10:余談ですが、チェルノブイリの事故と東日本大震災をからめて描いたマンガ、萩尾望都『なのはな』は2011年発売されました。歳は関係ないとは思いつつ、まあまあご高齢なのにこんなに新鮮な反応をすることができる萩尾望都はやっぱりすごい人だと思い知らされました。

*11:INTERVIEW(3)――自然に対抗するための強い力 - TOWER RECORDS ONLINEでの蔡さん「例えば、“あなたは太陽”という曲に出てくる〈菜の花〉という単語一つ取ってみても、原発事故の後と前とではニュアンスが違うじゃないですか。菜の花やひまわりは放射能を除染してくれる花だ、みたいなふうに言われたりして。でも、原発事故以前は世間一般には誰もそんなふうには菜の花を見てなかったわけで」

*12:解散の危機を乗り越え、生まれ変わったbonobosと時代の関係 - インタビュー : CINRA.NETより蔡さん「今回のアルバムって、ブラックミュージック寄りの音楽性とか、『23区』っていうタイトルからして、いわゆる「シティポップ」とのリンクでも語られると思うんですね。ただ、別にbonobosがそこに寄せたわけではなくて、そもそも現在の「シティポップ」の背景とも言うべきSAKEROCKからceroに至る流れとbonobosの歩みっていうのはずっと並走していて、だから今リンクが起こるのは自然なことだと勝手に思っているんですよね。」加藤さんは音楽部で『Cruisin' Cruisin'』を紹介したらしいじゃないですか!加藤さんは直球でかっこいいのが好きなんだなー(印象)。私はちょっとへろってるのが好きだ。

*13:私はスケジュール的に行けない可能性が高く残念です…。