キラキラの方へ。

しがないミソジのゆるふわ雑記

アイデンティティの陰と陽の戦い:NEWS『WORLDISTA』のバーチャル世界

”NEWS”の頭文字アルバムプロジェクト第3弾!『WORLDISTA』が来ましたね~。

お題「NEWSアルバム『WORLDISTA』レビュー」

参加させていただきます。いつもありがとうございます!

 

そして読んでみようかなと思ってくれた方ありがとうございます~。

ただ、断っておきたいことが。

・楽しい気持ちに水をさしてしまう場合があるかもしれません。

 あまり積極的に思い出したくないだろう部分に触れているから。

・『ゲド戦記』をネタバレなしで読みたいと思っている方には途中までしか読んでもらえません。

・脳みそと言葉を整理しきれていないので読みにくいです!(能力の限界)

 

なお、この記事は仮想空間に気遅れしてしまった人間(私)が、「もしこうならば、やっぱり目が離せないな?!」と自分なりの視点を発見するまでの、思い込みと妄想の軌跡です。(深そうに見せかけつつ、ペラいです。)

 

もくじ

 

仮想が染み渡っているNEWS

さて。前置きする必要もないのですが、”NEWS”の頭文字をとったアルバムプロジェクト、これまでの2作は1枚のアルバムを通して一つの世界を作り上げるというものでした。アルバムの中で別の世界に旅立ち、帰ってくるというストーリー仕立てになっていて、第1弾『NEVERLAND』は「ネバーランド」という異世界での冒険を、第2弾の『EPCOTIA』は「エプコティアライナー」という旅客機に乗った宇宙の旅を楽しめます。
第3弾『WORLDISTA』もその例にもれず(少々例にもれることがあるのですが、それは置いておいて…)、「ワールディスタ」というアイギア(VRゴーグル)をつけると体験できるゲームのバーチャル空間が1枚のアルバムを通して創り上げられています。「ワールディスタ」は現在のバーチャル体験とは異なり、「耳から脳にシンクロ」し「意識とバーチャル空間が直結する」システムという設定。アルバム冒頭の『ログインシークエンス -INTER-』ではバーチャル空間へのシンクロ率がカウントされます。(エヴァ味!)しかも今回は「想像することがみちしるべ」という言葉がアルバム発表の時からハッシュタグとして明示され、CD等のアートワークでも効果的に使用することで、ファンがそのタグを使ってアルバムやライブについて想像を繰り広げるという楽しみ方まで盛り込まれました。その一環なのか、アルバムのストーリーには”考察”を必要とするような仕掛けもたくさん埋め込まれていて…。1枚のCDを何倍にも楽しませてくれる凝ったプロジェクトになっています。本当に徹底してるな~と驚くやらうれしいやら(笑)
私はNEWSのことを4人になってからしっかり認識した人間なのでその前のことについては掴めていないのですが、4人になってからのNEWSはのっけから読み解きと縁が深いアイドルでした。はじまりは再始動のシングル『チャンカパーナ』。*1 それ以降、すっぽりとその世界に入り込んで、別人格(濃ゆめ)として歌うような印象的な曲を多数生んでいます。頭文字アルバムプロジェクトは、その流れを引き継ぎ強化したものだと言えます。
呼応するかのようにNEWSとの恋愛を楽しむゲーム『NEWSに恋して』も昨年の3月27日にスタート!まもなく1周年を迎えます。ゲームの中のNEWSはNEWSであってNEWSでない。NEWSが本人役を演じるドラマのようなもの。
そう、言うまでもなく、NEWSには仮想が染み渡っているのです。

 

NEWSは現実も濃い

しかし、それと反比例するかのように”現実”のNEWSを色濃く反映したかのような重要な曲もぽつぽつと継続的に発表され続けてきました。シングル『チャンカパーナ』のカップリング曲である『フルスイング』の系譜です。(勝手に系譜扱い。)

立ち止まっていたとしたって

ここで終わりじゃなくて

ためらいの果て 前を向いて

自分に挑みたい

くずれかけた夢だって

叶えたいとだけ信じて

そう何度だって 賽を振れ

願いを込めた

フルスイングで

 4人になってからの再始動ライブ『NEWS LIVE TOUR 2012 ~美しい恋にするよ~』の初日に『フルスイング』を歌うメンバーが幾度も感情的になっていたのは、現実と重なる部分が大きかったからだと思わずにはいられません。まぁ?私が?現実の?NEWSのこと?知ってるわけでもないので?(なぜか逆ギレ。)あくまで「だろうなー」という妄想の域を出ないことは重々々々ふまえつつも。
その流れは『U R not alone』『「生きろ」』といった曲につながり、曲調や表現の面ではいっそうむき出しになり、別人格を演じる曲やアイドルのキラメキを存分に発揮した恋愛ゲーム等に対するふり幅が年々広がっているようにも感じています。*2

 

ふり幅の広がりとアルバム世界の偏り

だがしかし!!ふり幅を広げている要因は望ましいことだけではありません。現実のNEWSにけっこう厳しい状況が起こったことが、幅を広げることに一役買っているように思えるのです。あえてねらって、望んで広げているわけではないところも、たぶんあるということ。
現実が厳しい状況だと、ふわふわした”アイドルっぽい”イメージにはいまいち説得力が感じられない。入り込むのにはハードルがある。(私は。)(ちょっと書き方きつかったので修正します…汗)だから、入り込むならとことん!(現実を忘れさせ)、つきつけるならとことん!(現実をむき出しにする)という方向がしっくりくることになるんじゃないでしょうか。あくまで私の感じ方ですが。
全く望んでいないことが、曲の幅を広げ歌い手の表現力を上げていくだなんて、なんだか皮肉。それも人格を曲に重ねることが魅力となる”アイドル”らしいところではあるけれど。
そこに来たバーチャル体験がテーマのアルバム。「バーチャル空間」という、さらに異化され世界もキャラクターも変幻自在にできる場所。収録曲はゲームのテーマソングやBGMのように感じられる造りになっています。例えば『SPIRIT』や『BLUE』は、扱いによっては”現実”方面に分類されても良い曲にも思えるけれど、「e-スポーツ」というスポーツ系ゲームゾーンの曲として扱われます。
その中で一つ不思議に感じることがありました。それは、圧倒的に”現実”寄りに思える『「生きろ」』が、なんだかとても微妙な立ち位置になっていること。
というのも、多くの方が指摘している点でもありますので詳細は省きますが、『NEVERLAND』と『EPCOTIA』では最後の曲の前に出口や帰還がしっかりと演出されていたのです。「ごきげんよう」「地球へ到着します」という別れのナレーションが“現実”に戻る役割を担う最後の曲の前に存在した。だから、今回のアルバムの最後に位置している『「生きろ」』がバーチャル世界から出て“現実”に戻る曲になるんだと、曲順が発表されたときには信じ込んでいました。しかし不思議なことに、明確にそうとも言えない造りになっていたのです。
『WORLDISTA』では最後の曲である『「生きろ」』の後に「おめでとうございます」とゲームの中での仮想通貨的なもの(バワリー)の獲得数が伝えられます。*3 つまりそれは『「生きろ」』がゲーム世界の中の曲だということ。ゲーム内ナレーションによる獲得バワリーの告知→『「生きろ」』→スティーブ・ジョブズ的な人の補足発表、という順ならば『「生きろ」』がゲーム外の曲だと思えるのですが…。(スティーブ・ジョブズ的な人がいるのは“現実”だと考えているので、曲の後にあってもおかしくないと。*4)ゲーム内のナレーションの声に「ごきげんよう」とは言われるものの、そこがどうにもすっきりしない。

初回盤アルバムを聴いた時、そういう意味で微妙に不完全燃焼な気持ちを抱えました。『Strawberry』から『「生きろ」』の展開もわりと急に感じるし、上に述べた最後の流れをどうストーリーとして理解したらよいのだろう?と。(これも世界観濃ゆめのアルバムプロジェクトを魅力的に押し進めてきたからこそ感じてしまう、期待の裏返しではあるのですが。)
それに、個人的にはアルバムが完全な仮想世界の中に閉じてしまったかもしれないことに少しがっかりしました。収録曲が完全に仮想世界の中の曲だとすると、曲の切実さがそがれてしまうようにも思えたからです。ゲーム空間という世界もキャラクターも変幻自在な場所では、一ところへの執着がなくてもかまわないし、何より自分自身の実態がそこにはないから。(私はゲームをほとんどやらずにきたので、こういう感覚は今やマイナーなのかもしれないけれど。)
そこで自分について改めて気がついたのは、私は仮想世界とその土台になっている生身のNEWSを感じさせる曲とでバランスを取ることにおもしろみを感じているようだということでした。

 

「陰」と「陽」について

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 突然の図解、失礼します。例えば氷山の一角として海上に見えてる姿がアイドルとして世に出ている部分だとして、海中に沈んでいるところがアイドルである彼らを支える個人的で人間的なプライベートの部分だとします。
その境目は波打ち際。ゆらゆらと時に見えたり隠れたりします。海上からのぞくとうっすらその姿が見えたりもするかもしれません。海中にもぐっていって、真偽のあやしい情報を取ってくる人なんかもいたりする(=パパラッチ)。
見えない部分は他にもあります。それは海上部分の氷山の内側。そこはプライベートとは言い切れないアイドルとしてのお仕事の裏側、と考えてみます。アイドルとして番組に参加している際の共演者やスタッフさんとの関係性など、『RIDE ON TIME』でドキュメンタリーとして見られたような部分。ここも、このように少し見える機会があるかもしれない部分ではあります。
こう図解してみたとき、私はどうしても波打ち際とか、内部の構造が気になってしまうようなのです。それは、厳しく美しい氷山を造り支えているのは見えない部分の構造だから。鑑賞物として堪能することができる表面の魅力があってこそだし、結局は見えている部分から内部を想像するにとどまるのですが。増田さんの『RIDE ON TIME』での発言「その人がどういう想いで生きているか」を見られるドキュメンタリーが好き、というのと同じような感覚だと考えています。(ただし、私は海中を詮索したいという思いはない。無用に探り出しあばきたいとは思わないです。それは明言しておきたい。)

さて、ようやくここで「陰」と「陽」という言葉を使い出したいと思います。意識的に見せている表面部分を「陽」、見えない部分を「陰」とします。「陰」と言っても、ファンが見えるのはせいぜい波打ち際と表面の少し奥くらいですが。
私にとっては、「陰」を感じさせるのが『フルスイング』の系譜。「陰」はたくさんある必要はなく一握りで効果的な、「陽」の部分を引き立たせる、なくてはならないスパイス的役割なのです。
そういう意味で、『WORLDISTA』は少し「陽」に偏っているのではないか?というのが私の抱いた感覚でした。『「生きろ」』は本来、ものすごく「陰」を感じさせる曲なのに、ゲームの中の曲とも取れることでバランスが揺らいでしまったようで。
それでなくても、2018年は彼らの15周年となる記念すべき年であったと同時に、彼らの活動に多大な影響をあたえた「陰」が露呈した年でもありました。そこに生まれたNEWSというアイドル像の「陰」と「陽」のふり幅の拡大。(「陰」「陽」はあくまで隠れている部分と見えている部分の対比として使っているので、良い悪いのような評価ではありません。)
アイドルの曲はアイドル本人に重ねて聴くことがポピュラーなので、「陰」をうまく活用することがアイドルの一つの戦略。だから私は一度見えてしまった「陰」は活かしていくしかないのだろうなと思っていました。「陰」に対峙せず、なかったことにはできないだろうと。その期待通り『「生きろ」』は「陰」を熱く内包しているようにも受け取れる見事な曲になっていました。(『LVE』の方向もおもしろいと思う。)
だからアルバムにも「陰」を期待していたのかもしれません。*5 決して一つひとつの曲のせいではないのです。*6 ただ、”現実“のNEWSの姿が見えないように感じてしまうことに対する寂しさが確実にありました。

 

『WORLDISTA』はソロ曲に「陰」がある

しかし通常盤を聴くうちに「およ?」と思わされました。そう、通常版にのみ収録されている各メンバーのソロ曲に!
ご存知今回のソロ曲は増田さんが『Symphony of Dissonance』、手越くん『DoLLs』、小山さん『Going that way』、加藤さん『世界』という布陣。タイトルが発表された時点で、少々「陰」の気配を感じて期待がふくらんでいました。(「陰」を想像させる不穏な空気が好きw)
もちろんアイドルの「陽」の魅力が発揮されている曲として聴くこともできますが、私にはばっちり「陰」寄りの曲に聴こえました。どの曲もどこかしら”自分はどう生きるか”ということを問うて歌っているように感じられるからかもしれません。
ちなみに「陰」を感じるソロ曲としては前作『EPCOTIA』の増田さんソロ『Thunder』のイメージが個人的にはとても強いです。『U R not alone』からの『Thunder』で、増田さんは何かを燃焼させたのかもしれません。
だからなのか、今回のアルバムについての雑誌のインタビューでは、特に増田さん以外の3名から「陰」を強く意識している印象を受けました。手越くんの「今の世界に対しての正直な想いを一つの作品として表現している。」、小山さんの「ソロ曲だから、NEWSというよりは自分の思い。」、加藤さんの「『WORLDIATA』の仮想空間の世界とは違って、どちらかというとオレ『個人』を歌った曲。」というような言葉から。*7

中でも、手越くんの『DoLLs』にはずばり「陰」と「陽」をめぐる葛藤が語られているように感じてドキドキしました。タイトルを聞いたときには、『Thunder』の手越くんバージョンかな?とか、BOØWYの『Marionette』みたいな曲かな?と期待してワクワクしていたのに実際にそうだったら意外と動揺し、あと、なんとなく悲しくもなりながら。
特に気になったのは「自分じゃない自分に 決して負けやしない」という詞。「自分じゃない自分」とは何か?と思い巡らせました。ストレートに受け止めると、手越くん目線では「週刊誌などの報道によって形作られた手越像」が主たるイメージではないのかなと思いました。負けたくないということは、彼が否定したい「自分」だということだろうから。手越くんは聴く人が自分自身に落とし込んで共感してほしいとインタビューで語っているので、あくまで手越目線ではそうではないか、という推測です。
そこで、ふと思い出したのは「ジョハリの窓」でした。学生時代にどこかで聞きかじっただけできちんと理解できていないので、こちらを参考に→「ジョハリの窓」とは? - 『日本の人事部』

手越くんが言う「自分じゃない自分」というのは「ジョハリの窓」モデルにおける「盲点の窓(気づかない窓)」にあたる場合もあるんじゃないかなと思ったからです。人物イメージや報道内容については、明らかな捏造の場合も少なからずあるでしょう。しかし、部分的な事実を組み合わせた場合、そうも見えてしまう”可能性の姿”とも言えるのではないかと。手越くんが「真実はどこにいった?」と歌うように、「真実」とは異なる姿だったとしても。
これは手越くんやNEWSに限らず誰にでも起こりうることではあります。「誤解を受けやすい人」なんてのは一般的なフレーズ。でも、一般人とは異なり、芸能人はアレコレの意図によって面白おかしく組み立てられた”可能性の姿”を作られやすい立場なのは確実。繊細で詳細な情報を提供しなければ否定できない”可能性の姿”を作られた場合、提供しなければならない情報に1パーツでも公言できないことがあれば反論もできない。一部事実→でも全体像は全く異なる→でも一部事実。みたいなループ。さぞもんもんとするだろうなぁと思います。

この「自分じゃない自分」との戦いは「想像(作られた像)」と「現実(真実の像)」との戦いのように思えます。あるいは「想像(自分が理想とする真実の姿)」と「現実(すでに形作られ定着してしまった姿)」とも言えるかも。これ「想像」と「現実」の意味が逆転してるんですよね…。ここ、実はあまり整理できていなくて。でも逆転しうるのがおもしろい点だなとも思います。
そういう意味で、手越くんの『DoLLs』は私にとってはなんとも「陰」と「陽」の「波打ち際」の曲でした。とっても興味深い。

 

『WORLDISTA』で「陰」と「陽」は対峙するのか

そして、ハッとしたことがありました。「ジョハリの窓」とは違う話になるので、もう忘れてください。←持ち出した意味(汗)
それは『WORLDISTA』で、NEWSは「自分」と戦うのではないか、という妄想。『影との戦い ゲド戦記』を地で行くのではないかという期待でした。*8

はい、ここで『影との戦い』のことをざっくり紹介します。そして重要な箇所をネタばらします。ネタバレなしにこれから読みたいという方はこの先を絶対に読まないでー!海に捨ててー!(©シータ、あるいはリュシータ・トエル・ウル・ラピュタ
「ゲド」という名の魔法使いをめぐるファンタジー小説ゲド戦記』の第1巻にあたるのが『影との戦い』です。
…早速Wikiります。

ゲド(ハイタカ)の少年期から青年期の物語。ゲドは才気溢れる少年だったが、ライバルよりも自分が優れていることを証明しようとして、ロークの学院で禁止されていた術を使い、死者の霊と共に「影」をも呼び出してしまう。ゲドはその影に脅かされ続けるが、師アイハル(オジオン)の助言により自ら影と対峙することを選択する。

ゲド戦記 - Wikipedia より

()内に記されているのは「通り名」です。「ゲド」は「真の名」、「ハイタカ」は「通り名」。対象の「真の名」を知れば、そのものに影響を与えられるというのが『ゲド戦記』の世界の「魔法」のあり方。ジブリの映画を見ている方は、このあたりの背景はご存知だろうと思います。
自分自身が生み出し、自分を脅かす「影」。ゲドは「影」の「真の名」を知らず、追われ続けます。
そしてクライマックス、「影」と対峙したシーンを以下に抜粋。(すんごい良いところだから、未読の人は読まないことをすすめます…!)

あわや、両者がぶつかろうとした時、それはあたりを照らす白い魔法の光の中でその姿を漆黒に変え、いきなり、立ち上がった。人間と影とは声ひとつたてず向かい合い、立ち止まった。

一瞬の後、太古の静寂を破って、ゲドが大声で、はっきりと影の名を語った、時を同じくして、影もまた、唇も舌もないというのに、まったく同じ名を語った。

「ゲド!」

ふたつの声はひとつだった。

ゲドは杖をとりおとして、両手をさしのべ、自分に向かってのびてきた己の影を、その黒い分身をしかと抱きしめた。光と闇は出会い、とけあって、ひとつになった。

影との戦い ゲド戦記Ⅰ』*9 p268

「な、終わったんだ。終わったんだよ。」彼は声をあげて笑った。「傷は癒えたんだ。おれはひとつになった。もう、自由なんだ。」それから彼はうつむいて両腕に顔をうずめると、子どものように泣きだした。

同上、p270

ゲドは勝ちも負けもしなかった。自分の死の影に自分の名を付し、己を全きものとしたのである。すべてをひっくるめて、自分自身の本当の姿を知る者は自分以外のどんな力にも利用されたり支配されたりすることはない。彼はそのような人間になったのである。もはやゲドは、生を全うするためにのみ己の生を生き、破滅や苦しみ、憎しみや暗黒なるものにその生をさし出すことはないだろう。

同上、p270

この「影との戦い」成分を 、今回の自己に向き合っているかのようなソロ曲に感じたのでした。

こうして「陰」だの「陽」だの語りたくなってしまったのは、バーチャル世界の中での「自由自在な自分」のイメージがあったから。それがあって初めて、対する「現実の自分」あるいは「本来の自分」という関係性が露になってきたのだと感じます。今回のアルバム曲の偏りとソロ曲の逆方向への偏りが、ねらったものなのか、両者が関係しあった末に自然とそうなったのか、私には想像するしかありません。ただ『インビジブル ダンジョン』をはじめとしたアルバム曲にも、実は自分との格闘がたくさん描かれているんですよね。単純にバーチャル世界の自由と楽しさを表現した曲ではないことに気がつきました。増田さんがラジオで『インビジブル ダンジョン』はライブでもキーになる曲(ニュアンス)と発言していたので*10、やっぱそうかーとなったり。バーチャルの世界でも人間は人間ということかな。

なお、「自分」対「自分」というこの妄想は、大いに話題になっている『White』との関連性に影響を受けています。(この件、私は他の方々の“考察”にて知りました。)そうした、ウェブラック(NEWS)とTEAM WHITE(NEWS)の対立という構造の可能性、さらには起承転結の「転」に位置するアルバムであることから何かしらのこれまでになかった演出、例えば”闇”のNEWSの登場、もあり得るのではないかと。
これまでも「闇落ち」と表現されるような形で、“闇”側のNEWSが登場してきたりはしているのですが、いつのまにか出てきていつのまにか消えている、ということが多いので、ばっちり対峙してはいないのですよね。
けれど、バーチャル空間はNEWSとNEWSが対峙することも可能にするかも…!
今、私の中ではそんな妄想が止まりません。

ちなみに「自分」対「自分」という目線は、加藤さんのソロ『世界』にも色濃い。「貴様が世界だ」には「客観する自分」あるいは「もう一人の自分」が出てきた!!って萌えるし、『世界』の間奏(1:25あたりから)に、Daft Punk『Digital Love』の間奏(リフ?1:51あたりから)のイメージが重ねられている(?)*11 のは、あえての対比かな~と思ったりもしています。Daft Punk『Digital Love』は、眠ったときに見た君との幸せな「夢」が現実になってほしいと願う歌詞。だから、『Digital Love』と『世界』の対比は、空想にふけるオレと現実のオレ、という対比にも思えるし、夢を現実にしたいオレ×2パターン、という対比にも思えるかな、と。※3/31追記:違いましたっ!ラジオ(3/3のSORASHIGE BOOK)とJohnny's web(3/21のシゲアキのクラウド)の加藤さん本人によると『Just the Two of UsJust the Two of Us - Wikipedia という曲のコード進行なのだそう。*12 有名なコード進行とのことで日本でも使われている曲はたくさんあるようです。ちなみに、Daft Punk『Digital Love』がそのコード進行なのかは私には判断つかず(汗)詞のイメージがわりと重なるような気もするし…もしかしたらそうなのか??止まりでした。加藤さんが早々に語ってくれていたのに修正が遅くなってしまい失礼しました!本人が語ってくれる場があるのは贅沢ですね~。情報が入れば修正・調整するけど妄想もやめないぜ!ってことでw 

www.youtube.com

 

というわけで、NEWSが「陰」とどのような関係を築くのか、すごく注目しています。それはまた、NEWS自身の在り方にも関わるように思えるから。善悪を担わせ、勧善懲悪のような対立にするのか?それともゲド戦記のような融合となるのか?あるいは…?

別に勧善懲悪になってもかまいません。NEWSが悪役として振舞うのなら、それだけで、完全なる勧善懲悪ではない関係性が立ち現れていると感じるから。
対峙してくれさえすれば、それだけですばら。ドキドキハラハラモヤモヤワクワクしながらライブを楽しみに待ちたいと思います。(自分の妄想ベクトルのズレ具合はある程度自覚してますし、テーマやねらいが実際と全然違っていたとしても良いのです…。NEWSチームは別の方向のおもしろさを見せてくれると思うので。ジャニーズのアイドルだし、きっとすんごくエンタメでかっこいいライブになっていることでしょう!)


毎度書くのが遅くて、変なかぶり方をしていたらすみません!

夢から醒めるような現実を持ち込んだ話をつらつらとしてしまいました。
後半に行くにしたがってとっちらかりつつ、頭の整理ができないままに終了します。

 

 

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*1:詳しくは「チャンカパーナ オン・ザ・ロード」でググっていただければ。

*2:NEWSって曲の中で演じるのが得意だから、その力を舞台とかでも発揮してほしいな~。『LVE』なんてすごく舞台っぽい(余談)

*3:私は「ワールディスタカップ」=ライブ説賛成でっす。

*4:YouTube見たら、すんごい『発表会 -INTER-』味がある動画がありました。2007年のiPhone発表の際の動画です。初回盤の特典映像に出ていたアイテムも登場してました。実際に『発表会 -INTER-』には、その動画の観客の声を使用しているのではないかと思います。余談ですが、スティーブ・ジョブズ(本物)が着ているタートルネックイッセイミヤケなんですね。初めて知りました。NEWSがイッセイミヤケのバッグ(BAOBAO)風の服装に変身するのにもそんな縁があるのかな?

*5:もしかしたら聴くのが遅かったことも、すんなりハマれなかった一因かもしれません。私が聴いた頃にはすでに”考察”が驚くほど進み盛り上がっていたからです。その状況を前に、ただでさえ「“現実“のNEWS成分が足りない…」などともやもやしていた私は完全に乗り遅れてしまいました。時間だけでなく、感情的にも。

*6:曲については改めて書きたい…けど書けるかな?汗

*7:手越くんと加藤さんコメントは『QLAP!』2019年3月号、(株)音楽と人、p30より。小山さんコメントは『TV fan』2019年4月号2/27→3/31、(株)メディアボーイ、p23より。

*8:前にも書いたけど、本をあまり読まない残念な人なもので、もっと適当な引き出し先があるのかもしれませんが、私の少ない読書体験の中から『ゲド戦記』にリンクしてしまったのでそのまま突っ走ります。

*9:アーシュラ・K・ル=グウィン著、清水真砂子訳、1976年、岩波書店

*10:ここ追って確認します

*11:私、この説をすんごい押してるんだけど、ダメかな?w→違ったぞ!

*12:ラジオで言っていたので書いちゃいます~。