キラキラの方へ。

しがないミソジのゆるふわ雑記

キャラ化と心と希望と(新月):今、「手越くん」を感じるモノたち(2019年12月)

2019年の手越くんの誕生日(の1ヵ月後)にほぼ書きあがってたのに、タイミングと仕上げる気力に難があって、アップするにいたらなかった記事を。

なんで今?って感じですが、今あげないと次いつになるかわからないから。いわゆる「下書き供養」として、今の心境は反映させずにアップさせてもらいます。

内容は誕生日にかこつけて、その人のイメージに重なる美術作品をピックアップした、という超私的な記事です。一NEWSファンから見た手越くん像として。

 

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そう、2019年11月11日は手越くんの32歳の誕生日!!…でしたね!!おめでとうございます!!

今年中には全員書かねば!という謎の使命感により誕生日企画(1ヵ月以上過ぎて?)をアップいたします~。ええ、自己満足のために!!(剣を高々と上げる戦士のポーズをあおりでイメージしてください。)

 

手越くんについても2017年にスピッツの曲にからめて書いたとき以降、なんだかんだありつつも印象が大きくは変わらない…ということで、イメージ語りはすっとばして作品ピックアップへ移ります~。

なお、今年書いた増田さん・加藤さんと同様に、ほぼ2018年時点で選んでいた作品からあまり変更はしていません。ですので、その時期の影響が強いかもしれません。つまり少々重め?

それと、ピックアップした作品が、ちょっとイラっとさせてしまう可能性があります。でも本当に変な気持ちで選んだわけではなく…まぁそれは作品のところで書きますね。

さらに、私はNEWSとして活動している時の手越くんの印象しかないタイプのファンなので、多くのファンの方々よりも見ているものがかなり狭い。そして、バラエティのイメージがメインのような一般の方の目線とも異なる。だから少々特殊な手越観になっている可能性が高いです。

…というわけで、「へ~こんな風に手越くんを見ている人もいるんだ~」くらいにゆるーく受け取っていただければ幸いです。

 

 

1.「キャラ化していく手越くん」について

村上隆《My Lonesome Cowboy》1998年/ミクストメディア/254 x 116.8 x 91.4 cm

WORKS | Kaikai Kiki Gallery

(今現在は7ページ目にチラッと写真があるけれど、随時追加されるようなのでページがずれていきそう。)

www.artnet.com

この作品、私は東京都現代美術館での展示*1 で見たのだったと記憶しています。くるりの曲の詞が展覧会タイトルになっていて、関連イベントとしてくるりのライブイベントなどもありました。ライブには行っていないけれど、個人的にはその頃を象徴する1ページ感がある展覧会です。

この作品を見たときの印象は明確に覚えていません。「?」「なんとなく不快」「オタク文化をアートにするとこうなるのか~」みたいなのがぼんやり混ざり合って、あまり深く考えることもなかったような気がします。けれど、なぜか今回思い出し、思い出した瞬間に「これだ!」となりました。

たぶん、多くの方はこの作品がピックアップされたことに眉をひそめている状態だと思います。私自身も言葉にするのが難しいのですが、ちょっとがんばって書いてみます。

 

この作品を15年以上経て改めて見たとき、「うわ、すごい作品だったんだな」と以前とは違う衝撃を受けました(遅い)。当時、村上隆作品は「オタク文化をアートにした」みたいな言われ方をしていたように記憶しています。その評価について、当時の私は”オタク文化”を再構成し、過剰にした作品、くらいの受け止め方をしていました(確か)。でも今回はそうしたオタク文化の”延長”ではなくて、オタク文化を突き放す意図的な”断絶”が存在していると感じて、そこに俄然興味がわいたのでした。と言うのも、この作品には虚像(イメージ)と実像の摩擦というテーマが読み取れる気がするから。

この解釈の変化には、この間に、私がアイドルをどっぷり好きになった経験を持ったことが多分に影響しているのではないかと思います。その経験が、”オタク文化”に対して、当時は持っていなかった視点を持たせたのかなと。そう考えると、ちょっと感慨深い。

まず、ファンによるアイドルのイメージの”消費”のし方は自己中心的である、という実感が鑑賞のベースとなりました。”消費”って言うと聞こえが悪いかな?”解釈”でも良いです。”解釈”はどうしても自己中心的、主観的になるじゃないですか。責めているわけではなく、そうなるしかない。だってアイドルは直接やりとりできる存在ではないから。自分の見たいところだけ見て、勝手に解釈する。ただし、それはファン自身にとって常に心地よいものではなく、逆だったりもする。自己中心的ではありますが、コントロールしきれるものということでは必ずしもありません。(アイドルには限らず、何でもそうではありますが。)そして、ファンの中にある解釈≒”虚像”も一定じゃない。例えば、普段は性的に見たりしないのに、時と場合によってはそうやって見たりもしちゃう。

けれど、当然アイドルには実態があるわけで。アイドルが実際に性的な現実を明かしてくると、とたんに自分の”虚像”との間に摩擦がおきて拒否反応が出たりもしてしまう。自分はちゃっかり性的に見ちゃったりしている時もあるのに、「そういうイメージは受け入れられない。隠しておいてほしかった。」みたいな。嵐のSNS解禁に伴い「身近になりすぎないでほしい。」というようなファンの声を見かけて、知りたいような知りたくないような…というファン心の複雑さを感じる今日この頃です。

 

で、作品に戻って。この作品には、そういった”キャラ化”している心地よい虚像と、わかっているのに見ないふりをしている居心地の悪い実像(この作品では性的な部分が強調されている)が混在していると感じるのです。うーん、なんて言ったらよいのかな。例えば、キャラクターを元にした二次創作作品などには性的なものも多いですよね。でも、そうした楽しみは基本は水面下のものです。その”お約束”をやぶり、この作品はそうした密かな楽しみであるはずの部分を白日の下にさらした。”公式”がめちゃくちゃあからさまに描写してきた!みたいな居心地の悪さ?それまで、自分だって性的に消費してきたことがあるにもかかわらず。

しかも、この作品がさらに上を行くのは、性的な部分をさらに”キャラ化”しているところ。過剰な演出で、まるでロープ投げ的必殺技(?)をしているみたいに見える。そこに再び微妙な気分にさせられます。「なに?隠しておいてほしい部分までも”キャラ”にしちゃうの?」と。こっそり”消費”していたことを、表に出されて見せつけられることの居心地の悪さ。さらには固定化されてしまう居心地の悪さ。なんとも奇妙なミックス状態。ちぐはぐのようなしっくりくるような、ファンタジーのようなただの現実のような。

やっぱりおもしろい作品。オークションで高値で落札されたことがニュースになっていたようですが、また見る機会はあるのだろうか…。

 

それでもって、本題!なぜこの作品を選んだか。

手越くんは、そうした「キャラ化」や「実像」との摩擦に敏感なアイドルのように感じるのです。敏感というより、さらされてきた、という表現が良いのかな?手越くんという”キャラ”がすごく強いからこそのジレンマなのかも。ソロ曲『DoLLs』では「俺は人形なんかじゃない」と宣言していましたし、それ以前も以後も折に触れてそうした人間宣言的な発信をしてきている印象があります。周囲からのとめどない”キャラ化”にあらがおうとしている?”キャラ”を通してしか見てもらえない関係を打破したい?ファンと近づきたいからこそ?一方で、”キャラ”を完全に捨てるのではなく、保ちながら更新しようとしているようにも感じる。私は、そんな手越くんをなんとも興味深い人だな~と思いながら見ています。

だから、この作品を選んだ理由にはそうした消費者である私自身の懺悔のような気持ちがあるのかもしれません。それと、手越くんの周りで起きている状況と、この作品に似たところを感じたのかな。この作品がピンと来たのはそのような理由です。うーん…伝わるかなぁ。

 

 

2.「心にすむ手越くん」について

奈良美智《My Drawing Room》2004年~/インスタレーション

の右の壁にある子どもの絵。です。

原美術館コレクション https://www.haramuseum.or.jp/jp/collection/

↑こちらの写真に写っている、右側の壁の棚の下、背景が茶色で赤身のあるワンピースを着た子どもの絵。 

期間限定!奈良美智「My Drawing Room」クリスマス展示(12/26まで) – ART iT アートイット:日英バイリンガルの現代アート情報ポータルサイト

↑こちらでは、最後の部屋全体の写真にちらりと写っています。

↓こちらは映像。1秒あたりと9秒あたりにかすっています。(だけど絵に札が掛けられていて一部隠れている…)

letronc-m.com

手越くん用作品には奈良さんを入れよう!とずっと思っていました。けれど、なかなかぴったりくる絵が見つけられないでいたところ、ピンと来たのがこの子でした。あんまりちゃんとした写真が見つけられなくてすみません…。何かしら、別の奈良作品を思い浮かべてお読みいただければ幸いです…(結局)。

何はともあれ、”かわいい”ですよね。にらむ、とは違うのかな~。見つめると言うか、視線をぶつけてくる姿が”かわいい”。抗っているのか、責めているのか、問うているのか。この作品を見ていると、自分の中にいるまっすぐな自分、あるいは過去の自分に見つめられているような気持になります。

手越くんってこういうところがあるなぁと思って選んでみました。こういう風に、人をハッとさせるところが。

個人的には、増田さんが言っていた手越くんのイメージ「ライオンのタテガミをつけた子犬」にイメージが重なる作品です。

それと、この絵を見ながらわいてくるのは、手越くんには”弱い”者の味方でいてほしい、という気持ちです。私は手越くんにヒーローでいてほしいようでして。”弱い”者を見下したり”強さ”を崇拝するような人は、私にとってはヒーローじゃない。”弱い”者は時に面倒くさい。なんで相手にしなきゃならないんだろうと思うのはもっともだと思います。あきらめたくなる気持ちも、一線を引きたくなる気持ちも全く否定できないし、心に負荷をかけすぎてつらくなってしまうなら切り離して無視してもらっていい。でも、私には手越くんに期待しちゃうところがあるみたいです。そういうドロドロした感情も明るい太陽のように包むような力があるんじゃないかな~って。

ごめんね。なんの支えにもならないのに期待だけ過剰で。

手越くんには、ずっとこういう目をしていてほしいなぁと思ってしまったりします。

 

 

3.「希望と手越くん」について

YOKO ONO《天井の絵/イエス(YES)・ペインティング》1966年/インスタレーション/Photo by Oded Lobi(c)

https://media.thisisgallery.com/works/yokoono_01

YES オノ・ヨーコ|現代美術ギャラリー|水戸芸術館 ←写真はないけれど作品紹介あり。

見たのは、東京都現代美術館『YES オノ・ヨーコ』2004年04月17日(土)〜06月27日(日)*2。この展覧会に行ったので見たはず…なのに全然見た覚えがない←。だけど選ばせてもらいます!見たはずなので!

手越くんを見ていると切なくなる時があるのですよね。まっすぐさが切ないのかな。ご本人は、ことあるごとにハッピーに生きていると報告してくれるので、ハッピーな目で見ていれば良いのですが、私自身が根暗だからか笑 

この作品もハッピーにも、切なくも感じられる作品だと思います。少し不安定な脚立に足をかけ、虫眼鏡を通してようやく見られるのは、小さな「YES」。あたたかく希望で包むようでもあり、細くておぼつかない一本の糸にすがるようでもある。

手越くんはこうした「YES」を信じている人だと感じます。かすかな可能性だとしても、”人”を信じている、と言うか。「いやいや全然、四方八方『YES』に包まれてるし?なんなら全部『YES』にしていく力があるし?」みたいなことをご本人は言いそうですが。

 

 

手越くんの作品選びをしようとした時、はじめはもっと動的な作品を選ぶことになるんだろうなぁと想像していました。ドローイング系とかでまとめようかなって。だけど、なんでだかそうなりませんでしたね。やろうと思えばできるんだけど。色バーン!動きバーン!パッションと主張バーン!みたいな作品を選ぶことも。(奈良さんのドローイングは初めから選ぶつもりでしたが。)

でも…私にとっての手越くんイメージだから。そこはあきらめて、今自分が感じるままの選出です。

 

 

編集後記的な。

これでNEWS全員分の×アート作品企画が終わりました!わー!!

作品選びの中で感じたのは、ある程度自分なりに位置付けられている作品でないと選びにくいということと、プロジェクト系作品の選びにくさでしょうか。プロジェクト作品が選びにくいのは、多数の人が参加する複雑な背景を一人の人物イメージと対比させるのが難しいのか、私の作品理解が追い付いていないためにイメージの着地点が見つかっていないからなのか…。たぶん後者の理由が強いかも凹

自分の思考の浅はかさを感じ、作品の知識とジャンルの狭さと少なさを感じ、それらから来る反省と恥を感じまくる企画でしたがなんとか完走できてほっとしました。

 

 

最後に、今一番手越くんを想うスピッツ

新月収録:アルバム『とげまる』2010年

とげまる | SPITZ OFFICIAL WEB SITE

tower.jp

新月

新月

  • provided courtesy of iTunes

スピッツもサブスク解禁しましたね。Spotify、これで貼れているかな?

open.spotify.com 

歌詞はこちら。

スピッツ 新月 歌詞 - 歌ネット

明日には会える そう信じてる あなたにあなたに

止まっていろと 誰かが叫ぶ 真中に真中に

それでも僕は 逆らっていける 新しい バイオロジー

変わってみせよう 孤独を食べて 開拓者に 開拓者に

 ”切ない手越くん”が好きな意地の悪い人間なもので、勝手に「切ないレイヤー」かけた選曲でごめんなさい。この曲を選んだのも2018年だったし…。微妙に暗い気分だったのかと。振り返れば。

でも、切ないというより、覚悟のような意志のような力強さを感じる曲でもあります。どう受け取るかは人によりそう。

 

 

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以上です。読み返してみると、けっこう感傷的であいまいですね。今書いたら、もう少し変わるかもしれない…。

 

お祝いのメッセージが、まだ書かれていなかったので、今書きます。

32歳は、手越くんにとってどんな1年になるのかな?もう半年たってしまったけれど…。

手越くんがまじりっ気のない笑顔で、明るい方へ、希望をもって歩き出せる1年になりますように

 

↓同じテーマの、他のメンバーバージョン。

2018年

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2019年

chikachika04.hateblo.jp

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