キラキラの方へ。

しがないミソジのゆるふわ雑記

オリパラがなくなった世界線と『ハウ・トゥー・サクシード』

ハウ・トゥー・サクシード』東京公演の無事の終了、おめでとうございます!

と、いうことで行ってきました。ファンクラブでは外れたけれど、ぴあで手にした1公演に。当たらなかった方や様々な事情により断念された方が今回は特に多かったに違いなく、貴重な公演に行けたことを自覚し、つたない感想を記しておくことにしました。

ただし!!先に謝っておきます。増田さんについての詳細はほぼありません!!まさかの!!笑 出演者の方のことを書いているわけでもありません。ミュージカルについても初心者だし。

では何について書いているか?というと、自分の戸惑いについて。鑑賞中から鑑賞後にかけての紆余曲折を書き残そうと思います。

ちなみに、鑑賞前に私がインプットしていた情報は報道の範囲内。だから作品評価をご存知だったり、パンフレットをすでにお読みの方には無縁の戸惑いかと。そういう意味では、ほぼまっさらな状態で見た人間による素直な感想になっているはず…。そんな目線でお読みください。

 

目次

 

あらすじ(『ハウ・トゥー・サクシード』サイトより)

ビルの窓ふき清掃員フィンチ(増田貴久)は、ある日「努力しないで出世する方法」という本を読んで感化され、出世を強く意識するようになる。“入るべきは大企業”という本の教えに沿って、ワールドワイド・ウィケット社に飛び込んだフィンチは、偶然出会った社長のビグリー(今井清隆)に直談判。そんな彼を一目で気に入った秘書のローズマリー笹本玲奈)は友人である秘書のスミティ(林愛夏)とともに何かと世話を焼く。人事部長のブラット(鈴木壮麻)に社長の関係者だと勘違いされたフィンチは首尾よく入社、トゥインブル(ブラザートム)が郵便室長を務める郵便室に配属される。そこには社長の甥で出世を狙うバド(松下優也)がいた。本の教えに沿って行動するフィンチは、社長秘書のミス・ジョーンズ(春野寿美礼)にも気に入られ、ヘディ・ラ・ルー(雛形あきこ)という専属秘書も付き、出世はトントン拍子。ローズマリーとの恋も上手く運んで、全てが順調…だったある日、重大なアクシデントが発生。果たして、フィンチの幸運もこれまでなのか…!?

www.howtosucceed.jp

 

ハウ・トゥー・サクシード』の世界に戸惑う

わりと古風なコメディ。往年の、的な。コメディってある程度感覚を絞って複雑にはせずに演出する向きがあるのだろうと思うけど。今のところどの人物もまぁまぁそのままなので、もう少し深みを見たいかな。そうでないと名作ではなかったろうと思うし。

ハウ・トゥー・サクシード』は前後半に分かれていたので、途中休憩にざくっと書いた感想(の一部)がこれ。「名作ではなかっただろうし」などと素人が偉そうに書いている…というわけではなく、前半を見た時点で私は「???」の渦に巻き込まれていたのです。

その主な原因はステージ上で起こっていることと私が見ている現実とのギャップ。『ハウ・トゥー・サクシード』の世界があまりに古風な設定の、古風なキャラによる、古風な人物描写に思えたんです。

1961年にブロードウェイで初演されたという『ハウ・トゥー・サクシード』。その頃の状況はわからないのですが、フィンチが出世を目指している舞台上の世界は、縁故主義に学歴や男女格差、セクハラパワハラが蔓延していて、それが当然のこととして受け入れられていて、誰も批判や疑問を提起しない世界でした。*1 そんな世界をフィンチがうまく乗りこなしてサクセスしていくおもしろさはあるけれど、「それだけ?まさかこのまま終わらないよね?」というのが前半の感想でした。(パフォーマンスとか演出とか曲とかについての感想をすっとばして申し訳ない~。)

そして後半。......いや、前半とあんまり変わんない。サクセスは小気味良いけれど...ジェンダー観は「?」なことばかりだし...出世自体に対する疑問はないし...登場人物はひたすら型通りで...あと、いかにもな“古き良きアメリカ”感が強くて…きっとみんな白人で…BLMなぞどこ吹く風で...etcetc. コロナ禍の現実に対して、この世界はあまりに“のどか”で前時代的じゃなかろうか、と。事務所への懐疑心が、私の中でむくむくふくらんでいったわけです。(なぜ事務所)

 

オリパラと『ハウ・トゥー・サクシード

そんな風に、この作品をどう理解したら良いのかと鑑賞中に考えるでもなく考えていた時にふと思い出したのが「この舞台は本来であればオリンピックとパラリンピック後に行われるはずだったんだ」という事実でした。

そこで、私はオリパラ後の世界線を想像してみました。それはきっと”お祭り”の余韻が残る少しうかれた感覚、あるいは満足感や燃え尽きた感につつまれた軽い疲れのある世界。だとしたら、頭を楽にして見られる小気味よくテンポの良い明るくエンターテインメント色の強いミュージカルは確かにハマっていたのかもしれないな、と。

そう思うことで、自分の「???」をなんとか解消しようとしていました。「オリパラがある世界線にはきっとハマっていたんだ。こんなに現実と解離してしまったことが想定外だったんだ。」と。

そこに来た「世界は一つ」。オリパラ来たーーー!!感がすごかったです。これか、と。オリパラの世界線はこれだったか、と。最後の最後に達成したフィンチのとびきりの出世と、彼の主張「世界は一つ」のパフォーマンスが高いテンションで混ざり合い、会長へのどさくさ提案も勢いで受け入れられ、あれよあれよという間に怒涛の終演。

「世界は一つだ」という響きの良いフレーズに浮かされて、なんとなく善行に関与しているような、友愛の精神に包まれているような、一段高い目線で人類を俯瞰しているような...、つまり細かいことは置いておいて人類皆兄弟!!そんな脳内麻薬が効いた状態にさせられる。まさにこれぞ一種のオリパラ効果ではないか、と。(ある一面の話です。)

そのカラ騒ぎに飲まれ圧倒され気持ちが高まってしまうのは、素晴らしいパフォーマンスだからこそ。けれど実際には何が起こったのか把握できていないような、そんな高揚とかすかな戸惑いがチグハグに混ざり合った終演でした。

 

祭りと人間

続くカーテンコールで、また一つおもしろい体験をしました。

登場した演者さんたちが急に”人間”に見えたんです。なぜそう感じたのかはっきりとはわからないけれど、先ほどまで演じていたキャラがとても“キャラ”だったから、キャラとして作り上げられていない仕草や表情に「あ、人間だ」と感じたのかもしれないです。すると、先ほどまでの”カラ騒ぎ”とそれを演じた生身の人間との対比が急に鮮やかに感じられました。厳しい感染症対策を乗り越えてようやく実現した舞台。この一瞬で消えてしまう”カラ騒ぎ”を生み出すために、生身の人間がいかに精魂尽くしていることか!愛おしいような切ないような気持ちがブワッとわいてきました。

それはオリパラとも重なりました。あれが一時の”お祭り”*2 だったとしても、実際にそれを動かし現場で働いているのは生身の人間なわけで。東京でオリパラを行うことを望んでいたかと問われると私自身はさくっとうなずけないけれど、そこに力を注ぎその中に生きていた人も確かにいるんだよなぁと。そうしたオリパラの唱える「世界は一つ」*3 の陰にある目的が、誰かの出世やレガシーや(以下略)だったとしても。そうしたオリパラに想いをかけた人たちの幻をこの舞台に見た気がしました。

オリパラがなくなった世界線でこの舞台を見るのはなんて皮肉だろうかと現実との高低差を感じつつも、現実がこうだからこそリアルにせまってくる面があるのかもしれないな、とも。もしオリパラがあった世界戦でオリパラ後にこの舞台を見ていたら、ただするっと楽しく見ていたかもしれません。

会場を出ると、たくさんの人が同じように会場を出てポスターを撮影したり感想を話したり階下に移動したりしていました。そしてヒカリエ11階からの窓の外に広がるのは東京の景色。それにまた一つジンとしてしまいました。自分を含めこんなにたくさんの人がこうした”カラ騒ぎ”のような一瞬を求めて集まっていること、本来ならこの倍以上の人たちが来ていた舞台だったことに、改めて増田さんはすごい仕事をしているなーと。演者さんをはじめとした関係者の方々のように”一瞬”に夢を持って情熱を捧げている人がいて、それに触れることで心動かされ夢のカケラを持ち帰る人がいて、そしてそれは他の場所でまた別の形になって...。「今だからこそ、この作品を上演する意味をより深く胸に置きながらフィンチという役を演じたい」*4 といった増田さんの言葉も思い出され、私自身もコロナ禍初の久々の舞台だったこともあり、なおさら胸に来てしまったのでした。人間の生み出す”カラ騒ぎ”は、やっぱり人間に必要なものなのだと。

 

パンフレットをいつ読むか問題

壮大な皮肉。それが私の『ハウ・トゥー・サクシード』の感想でした。
けれど心のどこかでは、こうして感じたのは私が3階席で見たことが原因かもしれないとあやしんでいました。表情までははっきり見えず、舞台全体を上から俯瞰するような見方になったから、人物にフォーカスするよりも関係性や全体感の方を強く感じたのかも、と。

そのため、この”皮肉”がねらったものだという確信はもてませんでした。だって純粋に楽しいコメディとしても見られる作品だとも感じたから。”皮肉”だと感じるのは、オリパラがなくなったせいであり、私の受け取り方のせいなのではないかと。

で、購入したパンフレットを読んでみたわけです。そうしたら!!語られているではないですか!!「ステレオタイプな見識へのシニカルな指摘をコミカルに提示」*5、「人間のズルさや愚かさを社会風刺的に描いたブラック・コメディ的作品」*6 等々と。演出・振付のクリス・ベイリーさんと増田さんの対談にもそれはそれはばっちりと。

いやはやそうでしたか、と。確信犯でしたか、と。思えば、オリパラがあったはずの世界線だって、『ハウ・トゥー・サクシード』の世界に違和感を感じないくらい”のどか”で前時代的ではなかったよね、と思い出しました。*7 前半モヤモヤしまくり、後半なんとか筋を見出そうとした私の紆余曲折はこうして落ち着きを得たのでした。もちろん制作者側の意図が”正解”というわけではないし、最重要というわけでもないのだけどね。

もしパンフレットを先に読んでいたら、全く異なる鑑賞体験をしていたかもしれないなぁと思うとおもしろいです。そして、ここまでの紆余曲折はよくあることでもないなと、ここに書き残すことにしたという次第です。

私はこういうタイプの作品を見た経験が少ないのかもしれません。私の中では、皮肉な結果に落ち着く作品というものは、何かが間違っていると伝わってくる嫌~な雰囲気が演出されているものだというイメージがありました。でもこの『ハウ・トゥー・サクシード』はおかしなことはありつつも、一種の「あるある」として受け入れられ、明るくゆかいなサクセスストーリーとして大いに楽しめる作品だと思うのです。最後にどんでん返しや核心に迫る問いかけがあるわけでもなく、一見”ハッピーエンド”の喜びまで与えてくれる。

けれど、時代背景を踏まえると、かなり辛口の風刺的側面をもつ作品だったんだろうなと改めて想像します。フィンチが足がかりにするのは全て世の中にあるモヤモヤ。私が感じたモヤモヤである縁故主義に学歴や男女格差、セクハラパワハラ(見えないところにある人種差別)は、たぶん今よりもっと定番だったにせよ、その頃だって胸をはれたものではなかったはずですよね。だからその存在を指摘して陽の元にさらすだけでも見る人を苦笑いさせ、しかもそれを是正するのではなく逆手にとって出世の道具にしていくことはさぞかし痛快に感じられただろうな、と。登場人物の考えが全て、“恥ずべき”“脱却すべき”ステレオタイプの表出と位置づけられていたのだとしたら…。私が特に気になったのは女性の描写なのですが、ヒロインのローズマリーが家庭で夫を支える妻を理想像にしていたり、女性の年齢を「熟しすぎた彼女とフレッシュな君」と表したり、女性の職種は秘書のみで女性にとっての出世は上司との結婚でそれが働く女性たちの最高の”夢”でローズマリーはそれを託された存在だとかいう全てが実は皮肉として歌われていたのだとしたら?(現在も選択肢の一つとしてそう考える人がいるのはまるで問題ないものの。) 今だってドキッとするのに、時代背景を考えるとそうとうな鋭さだったのではないかと震えます。

そしてフィンチはそうしたモヤモヤの扱いにのみ長けていて。演出・振付のクリス・ベイリーさんが「この物語は、一番賢い人がトップになるかといえば、そうでもないよという皮肉や風刺が込められている」*8 と指摘しているように、フィンチはトップになる実力があるのか大いに疑問を抱かざるを得ない人物。ただトップになるための駆け引きに長けているのみという、このモヤモヤ社会の皮肉が凝縮された人物という気がしました。*9


また、私は現実とのギャップを感じたけれど、本当にギャップがあるのかな?とも考え直しました。私が感じたモヤモヤは一昔前よりも問題視され批判的に語られるようになっているのは間違いないけれど、実際には大なり小なり変わらず存在し続けていることも明らか。それに、たとえ過去のものになったモヤモヤだって現在の別のモヤモヤに置き換えることはいくらでもできるわけで…。

ハウ・トゥー・サクシード』をオリパラ後の演目として選んだ関係者や事務所はなかなかだなと感心しました(上から?)。鑑賞中、一瞬事務所への不信感がわきあがっていたことを反省します笑。ほぼ初のミュージカルで、こういう作品に触れる機会をつくってくれたことに感謝です。

きっと、オリパラ後のなんだかんだ高揚した世界線においては”カラ騒ぎ”を揶揄することは気の利いた皮肉だったろうと思います。薪をくべるふりをしてこっそり冷や水をかけるオトナの遊び、的な。けれどもコロナ禍の世界線においてはそうした冷や水をかける対象だった”カラ騒ぎ”が大きな打撃を受けました。だからある意味とても重く、私について言えば、”カラ騒ぎ”に懐かしささえおぼえてしまったのだと思います。たとえ問題をはらんでいたとしても、人間がそれを求めてしまう性にしみじみしてしまうのは今だからこその感想なのかもしれません。そういう意味でも、今見られたことが貴重な体験になりそう。名作でした!!(前半を見たときの自分へ)

 

増田さんのことのような増田さんのことでないような感想

私は増田フィンチに目がガラスみたいに透き通っていてつかみどころがない人物という印象を受けました。*10 フィンチの目的はブレないのに周囲が振り回されていく様子に、フィンチはいったいどういう思考回路をしているんだろうか?と。もし表情が見える場所で鑑賞してたらフィンチが悩んだり決意したり驚いたりする様子が見て取れたのかもしれないですが、あいにく遠目からの鑑賞で、しかもストーリー的にフィンチの仕掛けには後から気がついて驚くという流れになっているので、フィンチのねらいや頭の中はあえて隠された構成になっているものだから。唯一下心や駆け引きなしにフィンチの心が見えたと感じたのは恋に目覚めるシーンでした。けれど彼の最重要目的である「出世」の前には、後回しにすることも可能な感情だとすぐにわかり…。(それに対してローズマリーが不満を抱いていることに気づかないくせに、知らされた途端にすかさずスマートにフォローするところも、ねぇ。) 出世よりも、ひどく人間らしい欲望を優先させてしまう周囲の人物たちがむしろ愛らしく見えてきて、フィンチはなんとも不思議な人物にうつりました。

そこで思いついたのが、フィンチAI説

鉄腕アトム(概念)に「出世」をミッションとしてインプットしたら、あんな風に突き進むんじゃないかなぁなどと。「出世」して実現したいことがあるようには見えないのに、目の前の仕事はほどほどに、純粋にひたすら「出世」を追求するフィンチ。「出世」自体が目的化している姿はいっそ清々しい。果てはローズマリーがぽろっと言った大統領を目指しそう。

一方で、フィンチは人間の欲望を解していないわけではありません。むしろ人間の欲望を熟知している。周囲にどういう欲望がうずまいているのか的確に判断理解して回避したり仕掛けていく。罠にかけることの罪悪感はなく、それどころか「出世」を阻むものへの憎しみや妬みも感じさせず、まるで数学の問題を解くように最短ルートを計算した結果、周囲の人間が自滅していくだけ。最終的にフィンチに恐怖心を抱く気持ち、私はわかる気がします。

このひたすらクリーンなフィンチ像、増田さんもねらって作っているとのことですが、増田さんの声の特色あっての人物像だとも感じました。増田さんの声にはピュアバージョンがあるじゃないですか。(バージョンとは。) その純粋な声なしには生まれなかったフィンチ像なのではないかと。ただただまっすぐなAIフィンチ(違う)だからこそ、「世界は一つ」にもついつい「君が言うなら...」とほだされてしまうのではないかと思ったりしました。ちなみに、恋に目覚めるところなんかもAIっぽくないですか?笑 自分の感情には鈍感で。

 

果てしなくざっくり感想

・「コーヒーブレイク」私も好きだな。私もコーヒーブレイクがなかったら生きていけない笑

アナグマVSシマリスの「我がオールド・アイビー」良かった!シマリスポーズ大好き。

・スミティが好きだった。 声も役柄も。“小賢しい”系のキュート女子に魅かれがち。

・増田さんのジレスタイルが見れたのもうれしい!もっと近くで見たかった〜。(そこ)

  

以上、楽しい紆余曲折の記録でした。一回見たきりの感想なので聞き違いや漏れのため勘違いしているところもあるかと思いますが。

大阪でも無事幕が上がり、たくさんの人が作品に触れられることを願っています!

 

 

余談:めっちゃバナナ

増田さんが飲んだというめっちゃバナナ*11。私が行ったのは話題になる前だったのですが、偶然にも飲んでいたのでテンション爆上がりました笑 13時開演なのに昼食をとっておらず、しかも開演まで30分切った状況。とにかく何か腹に入れなくては!と手軽に食べられるものを探し求めていたらヒカリエを突っ切ってしまい、せめてコンビニはないか?と周囲を見回したときにあったのがこちらでした。バナナ!!即戦力!!ということで、おいしくいただきダッシュで11階へ。お腹が鳴ることもなく最後まで見ることができました。感謝。

 

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*1:「秘書はオモチャじゃない」があったか!でもたぶんそれくらい。

*2:アスリートにとっては、もちろん異なりますが。

*3:「人類が疫病に打ち勝った証し」とかも

*4:『STAGE SQUARE』vol.46、p12、2020年8月27日発売、マガジンハウス

*5:ブラット役 鈴木壮麻さんコメントより

*6:J・B・ビグリー役 今井清隆さんコメントより

*7:何か起こると「前は良かった...」みたいに思いがちだけど、前も前で大概だったんだよね。抱えていた問題が今は露呈しているだけで。

*8:パンフレット、クリス・ベイリー×増田貴久 対談より

*9:けれどトップになったら、人をひきつける目標を掲げる能力さえあれば、あとは下がやってくれるのかもしれないですね。かえって、そうした不平等な条件下にいることに気がつかず全て自分の”実力”だと思い込んでいるような人物が実力主義を唱えてトップになるより、フィンチのような実力なんてどこ吹く風で世界平和を歌う人物をトップに掲げる方が幸せかも。

*10:キュピーンあるいはキャハッみたいな効果音のシーン(伝われ)で、どんな表情をしてたのか知りたいです。私の中では「あれれ?(わざとらしく)」「ええ!まさか!(わざとらしく)」なイメージ笑

*11:ヒカリエShinQs 店 | めっちゃバナナ