キラキラの方へ。

しがないミソジのゆるふわ雑記

3月11日からの、いくつかの曲(bonobos編)

何事にも浅い人間ですが、今回はその浅さでbonobosの曲の話をしてみたいと思います。

去る3/5(日)にbonobosのライブへ行ったことをきっかけに思いたった話です。bonobosのライブへは東日本大震災前に1度行ったきりだった私にとっては、震災後のbonobosを一気に摂取したことになり、その変化がとても鮮やかに映りました。そこで、その変遷を私がライブで聴いた3曲を元にたどってみたいと思います。

3月11日付近にアップできればよかったのですが、間に合わず。でもこの世界はずっと”震災後”なわけですし…歌詞の中にある「夏至」にこじつけてあげちゃいます。※2017年の「夏至」は6/21だそうです。*1

 

bonobosについて([ bonobos ] ボノボ

音楽出版社サイトより

大阪発のダブ・ポップ・バンド。2001年8月結成当時は蔡忠浩(サイ・チュンホ/vo,g)のソロ・ユニットとして始動。関西を中心に着々と人気を集め、2003年にミニ・アルバム『Headphone Magic』でCDデビューを飾る。スカ、レゲエ、トロピカル・ミュージックなどをルーツとする巧みなダブ・サウンドが多方面で高評価を獲得。その後、メンバーチェンジを経ながら、2015年までに6枚のアルバムを発表。2015年7月以降は蔡のほか、森本夏子(b)、田中佑司(key)、小池龍平(g)、梅本浩亘(ds)の5名編成で活動を継続。2016年9月、7thアルバム『23区』をリリース。

bonobosは震災後すぐにフリーダウンロードできる曲『PRAY for』を制作したりもしてていたのですね!この記事を書くために検索している中で知りました。冒頭にも書きましたが、私自身はbonobosについてはこれまでアルバムを何枚か聴いたことがあり、震災前のライブに1回行ったことがあるだけ。色々知らな過ぎると思いますがご容赦ください。

 

 

まず、この曲から。ライブに行くきっかけになった曲なので、少々長くなりますが歌詞も追いつつ聴いてみたいと思います。 

1)『三月のプリズム』(アルバム『HYPER FOLK』より 発売日:2014/03/05)

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三月のプリズム - bonobos - 歌詞 : 歌ネット

ゆったりとしたスピードと穏やかで懐かしいようなメロディからスタート。

りんごがね、今年はそれはそれは見事に染まったという

沖でも、それはたくさんの魚の群れを見かけたという

行方のわからぬアイツは、今も帰らんままだそうだが

ほっぺたの赤いあの娘は、ついに花嫁になるのだという

歌い出しから新鮮。話しかけてくるような、夜に読んでもらう昔話の始まりのような。そして歌い手から色々な報告をされていきます。どこの話かもわからないままだけれど、「そっかぁ、そうなんだね」と受け答えしたくなる。「それはそれは」「わからぬ」「帰らんまま」「ほっぺたの赤いあの娘」といった全体的に少し古めかしいくだけたニュアンスの言葉も、昔からあるわらべうたのような雰囲気をかもしだします。話題となるのは普遍的な自然と人間のサイクル。だから時を越える印象があるのかもしれません。「行方のわからぬアイツ」だけが心に引っかかる。でも人生、おめでたいこともあるのです。

お天道様

なんというか、ありがとう

どうもありがとう

感謝をささげる相手も「お天道様」と、プリミティブ。

そして願いと祈りが続きます。

なきべっちょらにずっと降り注ぐのが良いことばかりであることを願い

わたしたちは歌おう、悲しみにドッコイセェと土を盛り

そして、千年の一瞬を狂った渚にまっさらなあかりがつくのを見よう

ここでもあえて「なきべそづら」ではなく「なきべっちょら」*2。方言には古来の言葉づかいが残っているというので、どこかの土地の民謡のような雰囲気もたたえてきます。

そして「ドッコイセェ」。「悲しみ」に対抗するには、なんて日常的な飾り気のない言葉なのか。神聖で権威ある儀式のような特別なことじゃなく、日々の一仕事と言うかのごとくです。でも重いモノを持ち上げる、少しの気合がいるときの声。本当はすごくたくさんの気合がいる重労働なのだけれど、それを「ドッコイセェ」の言葉で和らげて日々の中で処理していこうとする切なさを感じさせるようにも思います。悲しみに土を盛る、という描写からは土葬という死のイメージも浮かんだり。

「わたしたちは」というところからは、みんなで声をかけあって奮闘するイメージもわいてきます。ここの部分の前半はリズミカルなので労働歌のようにも。

そして「千年の一瞬を狂った渚」が、とうとうはっきりと東日本大震災津波とリンク*3。「行方のわからぬアイツ」のことが改めて思い出されます。

すると、一気に脈もリズムも疾走感を増し、

三月はプリズム 鉛色の海に沈黙の詞をなげた

七夕が近づく夏至の夜に集い、ともに汗を拭った

登場する「プリズム」。全体を通してただ一つの外来語。そこで気になるのは「三月はプリズム」とは何を表現をしているのか?ということ。プリズムには太陽光を屈折させ、光の色を分解する機能があります。と考えると、日々にまぎれた情景(一色にしか見えない光)の別の側面をあらわにする存在と展開できるかもしれません。「三月」を東日本大震災の記憶と結びついた月と捉えると、「三月」は日常生活という当たり前の”光”を鮮やかに見せる「プリズム」のような存在であり、その「プリズム」が私たちに気がつかせるのは、慣れきって感じなくなっていた大切な存在についてなのかもしれないし、日々の雑事によって流していた違和感なのかもしれない。あるいは当たり前のように信じていた光(現在やそれに続く未来)が、方向を変えさせられたり自ら変えたりした瞬間を表すこともできるかもしれない。色々思い描けそうです。ただ、少なくともこの部分の雰囲気からは安らかではなく、切実な気持ちにさせられます。声の重なりにも、何か気持ちがざわつく。「三月」という「プリズム」によって、凝縮された濃厚な何かが弾け出すような。それでも海は答えてくれない。

わたしたちはたまさか交わり、そして友達になった

「たまさか」は「偶然。たまたま。」という意味だそう。震災によってつながれた縁なのでしょう。「七夕が近づく夏至の夜に集い、ともに汗を拭った」に続く「わたしたちはたまさか交わり、そして友達になった」、そして悲しみに土を盛る作業を組み合わせると、個人的には津波の被害にあった地域でのボランティア活動が思い出されました。5月に1日だけ参加しただけですが、マスクに軍手長靴で、作業中はサウナ状態。熱中症にならないように注意しあった記憶があります。色々な地域から集まったボランティアの人々が、日中はひたすら土をかき、夜毎に集い歌う様が浮かびました。

なきべっちょらにずっと降り注ぐのが良いことばかりであることを願い

わたしたちは歌を交わし、悲しみにドッコイセェと土を盛り

そして、千年の一瞬を狂った渚に懐かしいあかりがつくのを

「まっさら」でありながら「懐かしい」存在のあかり。それは一度失われ、戻ってきたから。渚につくあかり、ということで、船のあかりのイメージも。

そして一瞬の高ぶりから、落ち着きを取り戻していく。落ち着きを取り戻すのは海なのか心なのか。

時間の速すぎる流れにも意味があるというのか

想い出もぶっちぎるほどに速く訪れる、無遠慮な未来にさえ

少し疲れたような現実にかえったような静かな独白。「ぶっちぎる」という現代っぽい言葉には、つい出てしまった感情、「無遠慮な未来」へのやるせない怒りを感じる気がします。

最後に再び、今度はピアノの乱舞。

わたしたちは歌おう、悲しみにドッコイセェと土を盛り

そして、千年の一瞬を狂った渚にまっさらなあかりをつけよう

「つくのを見よう」と言っていた「あかり」を自分たちの手で「つけよう」と歌って、終わります。

改めて聴くと時折の音が波が引いたり押し寄せたりするように聴こえました。

 

実は、作詞作曲の蔡さんがこの曲に冠することをわりと話しています。(私が抱いたイメージと重なっていても違っていても、それはそれで、ということで…。)

まず、「実際『3月のプリズム』とかは、福島の小名浜について書いてる」*4 とのこと。蔡さんは2011年6月に福島県小名浜でライブをしているようです*5。その後2013年11月に再びライブで小名浜に行ったそう*6。再び訪れた小名浜について「震災直後に一度行ったときは真っ暗だったんですけど、こないだ行ったら車はびゅんびゅん走ってるし、人もたくさん集まってて、元気ではあるんですよ。ただ、生活が元通りになったかと言うとぜんぜんそんなことはなくて。そういう光景を見ながら、俺も震災から3年のあいだにいろんな変化があったけど、ここにいる人たちにもそれぞれの時間軸があって、日々の変化を生きてるんだなってことを再確認したんですね。」*7と話していることからも、たまさか交わった夏至は2011年6月のことで、その後2013年11月に再び出会い…という実体験がベースとなっているようでした。*8

この曲をYoutubeで初めて聴いた時、アルバム『オリハルコン日和』(発売日:2009/04/15)でbonobos暦がストップしていた私は衝撃を受けました。以前はもっと身近でささやかな愛とか愛する人との生活とかそうした中に幸せを見出したり見出そうよと歌っている印象が強かった。*9 もちろんそれは変わらずにあると思うのですが、人との関係性や何かの幅がもっと広がったというか、そんな印象を受けたのでした。さらにアルバムタイトルが『HYPER FOLK』と知って、この印象が確信的なものになり、私が逃していた時期のbonobosを追いかけなくてはならない!と思わされました。そして偶然3/5(日)にあったbonobosライブへ、最新アルバム『23区』は聴ききれず、『ULTRA』と『HYPER FOLK』までをなんとか聴いて出かけたというわけです。

 

そのライブで『三月のプリズム』に続いて演奏されたのがこの曲でした。 

2)『あなたは太陽』(アルバム『ULTRA』より 発売日:2011/12/07)

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あなたは太陽 - bonobos - 歌詞 : 歌ネット

『三月のプリズム』の前、2011年12月に発売されたアルバムに収録されている、12分以上ある曲。『三月のプリズム』よりも、祈る想いだけが結晶化されたような曲だと感じました。賛歌、と多く評されていますね。管楽器の高らかな音。

歌詞の中にある具体的な体験は、出だしの子どもたちのシーンのみ。(それと、菜の花。)その後は歌い手による、子どもたちの未来への祈りが展開されます。一瞬の情景が永遠の時空へとひろがったかのような感覚。ライブでは「彗星と巡り会う空」から一つ一つの情景が、幸福な想像であるとともに、実際には手に入らない幻のようにも思え、たまらなくなりました。

冒頭で登場し、最後に何度も何度も繰り返される「菜の花」。ヒマワリが有名ですが、菜の花も、チェルノブイリ原発事故の時から放射性物質の吸収を期待されて植えられている花*10東日本大震災を境に色々なものがその内包する意味を変化させましたが、菜の花もその一つ*11。『おぼろ月夜』で「菜の花畠に入日薄れ」と歌われていたような、のどかなだけの風景ではいられなくなってしまった菜の花畑。しかし「デタラメな歌を歌ってる」子どもらがいる菜の花畑は、どういう背景があるとしても「圧倒的な輝き」があるという、複雑に幸福な心境を感じます。

ライブでのこの2曲の流れは本当に印象的で、完全に圧倒されのみこまれました。

 

そして最新『23区』へ。(ライブでの曲順は、すぐ後ではなかったかもしれません。アンコールだったみたいです!)

3)『23区』(アルバム『23区』より 発売日:2016/09/21)

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23区 - bonobos - 歌詞 : 歌ネット

最新アルバム『23区』は今流行として定着したシティポップ路線と評されることも多い模様*12。アルバムを聴かずにライブに行った私も、以前の曲から『23区』収録とおぼしき曲の演奏に入った瞬間に、雰囲気ががらっと変化するのを感じました。そしてその時、「あ、醒めた」となんとなく思ったんです。その印象が頭の中を駆け巡って、今のシティポップは何かから「醒めた」後の世界を歌っているのだという強い思いに駆られました。何から「醒めた」のか?それは、東日本大震災によって崩された、当たり前だと思っていた”日常”からなのかもしれないし、あるいは何かが目覚めたような気がした自分や社会からであったり、”絆”のようなものからなのかもしれない。それはわからないけれど、とにかく、何かから「醒めた」後に、それ以前とはイコールではないものの、再び訪れた”当たり前の日常”を、「醒めた」状態で何とか生きていこうとしているように感じたのでした。

今シティポップど真ん中にいるような人の歌声にクールな印象を受ける気がするのは、そういう「醒めた」感覚との相性が良いのかもしれないとも考えたり。そうした人達には、何も信じていない孤独や、すごく身近なもの(”仲間”など)だけへの信頼を抱えている印象が私にはあります。そして、MVで夜に徘徊したりドライブしがち。一方、甘い声でシティポップを歌う人達には「醒めた」世界の認識上にある、ささやかな魔法のような儚さを感じます。そこはかとない現実味の薄さと浮遊感。MVは夜の遊園地のような幻のような光がきらめくイメージ。今のシティポップには夜が似合う。

とにもかくにも、なんだか「醒めた」というキーワードによって、私にはストンと入るものがありました。

 

でも、bonobosの『23区』には現実味のある人肌くらいのあたたかさがあって。「醒めた」後でも世界を自分なりに愛し生きていこうとする気持ちが感じられました。それと同時に孤独をかみしめているような気持ちにもなる。私には、以前のbonobosの歌詞の中には愛する人との境界を感じさせず溶け合っているイメージがわくことが多いような気がしていたのですが、この曲からはとても信頼している人達や大切な人と一緒にいても拭えない孤独が描かれているように思いました。それでいて「クソったれ、愛してる」。そうしたところが「醒めた」後の世界の複雑さであり、都市的なのかもしれません。

 

3曲を追ってみて

各曲がもつ時間感覚や態度には特徴があるように感じます。

人生を超えて未来と溶けあい、祈りや願いを歌った『あなたは太陽』

人間サイズになって現在と過去との距離が生まれ、意志を感じる『三月のプリズム』

そして生活する個人の感覚に戻り、孤独と葛藤を抱えた『23区』

そこからは、あまりの出来事をいかに自分の中に落とし込もうか試行錯誤した時から、少し時間がたち記憶や感覚を改めて捉えなおした時を経て、記憶が日常に溶けて混ざりながら生きる今へ、というような移り変わりも感じ取れる気がしました。蔡さんとbonobosの曲を通して、何だか、震災後の人間の変遷の一例を見るような気持ちになる。3曲だけしかピックアップしていないので、どんな物語だって都合よく組み立てられてしまうし、実際にざくっとした感触ですが。

 

私は関東住みだし親族や友人が直接被害を受けたわけでもないです。けれど、その立場なりの東日本大震災の影響というものがあって、そして今日まで移り変わってきています。東日本大震災に限らず、その人にとって大きな影響を与えた何かと色々反応しあいながら、時に時間感覚を大きく変えることで対応しながら、生きていく。どの感覚が良いとか悪いとかではなく。変化したらいけないとか変化しなきゃいけないとかでもなく。

 

ちなみに!bonobos 日比谷野音ワンマン(仮)が8/12(土)にあります。しかもチケットの一般販売が6/27(日)からだそうです。全く宣伝効果はない記事だと思うけれど、ねらって書いたみたいになっていてびっくり(笑)ライブ、絶対素敵なんだろうな。*13

最後に、3/5(日)のライブの感想を追加させてもらうと、『THANK YOU FOR THE MUSIC』がめっちゃかっこいいアレンジになっていて上がりました!私がbonobosに出会ったアルバム『electlyric』収録曲で、今も好きな曲が、新たな息吹を吹き込まれて定番であり続けていることがうれしかったです。

↓この中に私もいたのか!w

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*1:この記事を上げるのにちょっとだけ躊躇する気持ちがあったのですが、先日チェルフィッチュの『部屋に流れる時間の旅』を見て気持ちが後押しされました。何時の感情も確かに在ったもの。しかし時間は流れて行く。※記事内容を寄せているわけではないです。

*2:「べっちょ」というのは仙台等の東北方面の方言であるもよう。ここまでしか調べていないので、もしかしたら「つら(顔)」=「ら」ではないかもしれません。

*3:国土省の資料http://www.mlit.go.jp/common/000227028.pdfに、「今回の津波は貞観津波(869年)クラスかそれ以上で、発生頻度は500年から1000年に一度。」との記述。

*4:いまっぽい〈黒さ〉で都会を描く――新生bonobosが表現した東京という街 - OTOTOY

*5:FEATURE | 蔡さんと過ごした夕べ - 小名浜発|地産クリエイティブを伝えるウェブマガジン

*6:bonobos 6th Album「HYPER FOLK」特設サイトでの蔡さん「たしかに『ULTRA』のときはわりと引いた視線で書いていたような気がします。今回も基本的には変わらないんですけど、去年の11月にライヴで福島県小名浜に行った影響はあるのかもしれない。」

*7:bonobos 6th Album「HYPER FOLK」特設サイト

*8:ちなみに、MVで結婚式の招待状は福島県いわき市から届くのですね。実際に福島県での撮影も行なったそうです。bonobos 6th Album「HYPER FOLK」特設サイトでの、蔡さん発言に「たとえば「三月のプリズム」のPVを福島県で撮ってたりとか、そういうことはもちろんあるんですけど、歌詞や曲で何かメッセージを伝えたいっていうことはあんまりなくて。」と。

*9:そして私はそれがちょっと苦手だったのです。『electlyric』でbonobosを知ってからゆるく追っており、『オリハルコン日和』頃が初ライブでした。その頃の曲の雰囲気からも感じてはいたのですが、ライブでの”幸福感”がものすごくて、かえって少し怖くなりました。冷静に考えて私はそんなに幸せじゃないし、世界も私にはそんなに幸せそうに見えない。なのにこんなに幸せな気持ちになることが、まるで洗脳されたか酔っぱらっているかのようで。ほんとにほんとに語弊がありますが。それだけ影響力のあるライブだったのだということですし、あくまで私個人の中での葛藤です。ただ、そうしたひどくこじらせた感覚があって以降『三月のプリズム』をYoutubeで聴くまで、bonobosからなんとなく足が遠のいていたわけです。

*10:余談ですが、チェルノブイリの事故と東日本大震災をからめて描いたマンガ、萩尾望都『なのはな』は2011年発売されました。歳は関係ないとは思いつつ、まあまあご高齢なのにこんなに新鮮な反応をすることができる萩尾望都はやっぱりすごい人だと思い知らされました。

*11:INTERVIEW(3)――自然に対抗するための強い力 - TOWER RECORDS ONLINEでの蔡さん「例えば、“あなたは太陽”という曲に出てくる〈菜の花〉という単語一つ取ってみても、原発事故の後と前とではニュアンスが違うじゃないですか。菜の花やひまわりは放射能を除染してくれる花だ、みたいなふうに言われたりして。でも、原発事故以前は世間一般には誰もそんなふうには菜の花を見てなかったわけで」

*12:解散の危機を乗り越え、生まれ変わったbonobosと時代の関係 - インタビュー : CINRA.NETより蔡さん「今回のアルバムって、ブラックミュージック寄りの音楽性とか、『23区』っていうタイトルからして、いわゆる「シティポップ」とのリンクでも語られると思うんですね。ただ、別にbonobosがそこに寄せたわけではなくて、そもそも現在の「シティポップ」の背景とも言うべきSAKEROCKからceroに至る流れとbonobosの歩みっていうのはずっと並走していて、だから今リンクが起こるのは自然なことだと勝手に思っているんですよね。」加藤さんは音楽部で『Cruisin' Cruisin'』を紹介したらしいじゃないですか!加藤さんは直球でかっこいいのが好きなんだなー(印象)。私はちょっとへろってるのが好きだ。

*13:私はスケジュール的に行けない可能性が高く残念です…。

応援歌への共感がうすい人間 vs『U R not alone』

ただ1曲についてしか書いておりませんが、お題に参加させていただきます! 

お題「私のNEVERLAND」

ほかの部分については、いずれ、ただの感想を…。

なお、この記事は前向きに生きている方をイラっとさせる内容なこと間違いなし。(最後は少し盛り返していますが。)しかもほぼ自分語りです。お気をつけください。

 

応援歌へのめんどくさい想い

実は私、応援歌系の歌が苦手なのです。

ここで誤解なく伝えておきたいのは、”苦手”であって”嫌い”なのではないということ。応援歌と言っても多様なものがありますので、中には”嫌い”な応援歌もあります。でも、応援歌というだけで全てが”嫌い”というわけではない。しかし明らかに応援歌と分類されるような曲全般が、強弱はあれどもたいていどれも”苦手”なのです。

なぜ応援歌が”苦手”なのか?それは、他のタイプの曲よりも応援歌には”共感”が必要になってくるからなのかもしれません。応援歌は聴く人を励まし勇気づけ奮い立たせ後押ししてくれる、とても力になる存在。それは素晴らしいことだと思います。言い換えると、自分に重ねて聴きがちな曲なのではないかと思います。メッセージに自分を重ねて、自分自身を鼓舞したり、誰かから力づけられているような気持ちになるから、力になる。つまりは、内容に共感できるかどうかが重要になってくるタイプの曲なのではないかと。

適当な印象ですが、近年応援歌が増えてませんか?なにかと叱咤激励されている気がしています。*1 いつの時代も「恋愛」が共感母数の大きいテーマであることはよくわかるのですが、「応援」についても大分共感母数が多くなっているのではないかと想像しています。(きっと応援されなきゃやってられない世の中なのだわ…*2

なお、「恋愛」は個人の感情の問題だし、基本的に良い悪いはない。始まりから終わりまで、状況もよりどりみどりだし。聴くのがつらい曲がある人もいるでしょうが、「恋愛」がテーマとなっている曲が総じてつらい、ってことにはならないと思うのです。それは、「恋愛」に伴う感情のどれもが、否定されないからです。さみしかったり悲しかったり葛藤や後悔はあったりするかもしれませんが。それに「恋愛」テーマは、物語やエンタメとして聴きやすい。1mmも自分に重ならなくたって問題ないのです。(略奪愛だってエンタメ。)

し・か・し!「応援」テーマは、「応援」されるような状況に自分がない場合には、ガラッと様相を変え、つらくなる可能性が出てきます。なぜなら「応援」がテーマの曲は「応援」されるような何かを持つことが前提であり、進むべきベクトルがしっかり存在するから。夢に向かう努力・あきらめない意志・その結果としての栄光、という”正しく”善き”方向があるのです。そこが「恋愛」テーマの内容との大きな違いなのではないでしょうか。(この状態を「恋愛」テーマに当てはめるとしたら、片思い・気持ちを伝える・両思い、という前向きラインしかない感じ…。振り向かせるまであきらめるな・両思いになった努力すばらしい系しかないというのは「恋愛」テーマだったらありえないよなぁ。)「応援」の曲はあきらめることも何も求めないことも許してくれない。夢があいまいで、情熱も覚悟もなく、努力する気力もないような状態の人間には結構な刃になる可能性があります。もちろんそうした状況だからこそ応援歌によって励まされ力にできる人もいると思いますが、精神状況によっては、責めたてられているように感じていたたまれなくなることも。つまり、私はそういう人間なのです。*3

もし、そうした状況にある自分を受入れられているならば、応援歌を物語やエンタメとして聴けるのかもしれない。ゆとりを持って。しかし「”夢”を追わずんば人にあらず」的な病というか呪いというかを、深く深く刻み込まれてきているものだから、なかなかそんな自分を受け入れることもできないわけです。実際に満足できるような状況にもいないし。*4エンドレスサマー』なんて心に響く曲だからこそ、つっらーい!!「よし、聴くぞ」と気合を入れ、心を整えないと聴けないです。「恋愛」テーマだったら物語やエンタメに変換できるのに、「応援」テーマではそうしにくいのは、内包する”正””善”ベクトルの圧力が強いからなのかもしれません。

NEWSが好きな人には、こんなタイプは多くないですよね、きっと。応援歌に名曲が多いと言われるNEWSだもの。 

ただし、NEWSの応援歌をあまり病まずに聴くことができる技があります。それはNEWSに重ねて聴くこと。NEWSに重ねることで、自分と重ねるキツさを回避することができる。意識的にそうしているわけではないけれど、彼らは応援歌がはまる要素を望まないながら持ってしまっているので、結果的に非常に重ねやすい。そうした聴き方は、NEWSの応援歌においては、珍しくないのではないでしょうか。(いや、むしろアイドルの場合、彼ら彼女ら自身に重ねて聴くことが一般的な気もする。「恋愛」テーマの曲も、エンタメとして仕上がっている場合が多いから(特にNEWSは)自分に重ねるより、ほぼほぼ彼らが演じるイメージに重ねて聴く気がする。曲の聴き方にもアイドル作法(?)があるんだな、たぶん。)

 

そういう人間 vs『U R not alone』の変遷

さて、こんな人間である私は、アルバムにおさめられる曲情報として『U R not alone』というタイトルを知ったとき、恐れました。「絶対応援歌だ…。しかも、タイトルから察するに”オレ等がついてるよ”系?もしそうだったらどうしよう…」と。私だって、”オレ等がついてるよ”系の曲を笑顔で受取ることができるくらいには人間できています。「その気持ちがうれしいよ。ありがとう。」「こういう言葉に励まされる人もいるよね。大事だよね。」とね。(書いてみるとかなり嫌なヤツだな。)「NEWSに重ねて聴く」という技もありますしね。しかし、どうしても埋められない溝はできるだろう、と。久々のGReeeeNの曲で、事前情報からも力が入っていることがひしひし伝わってくるのに、彼らが心をこめて送ってくれる曲を自分がどこかそらぞらしい気持ちで受け取らなければならないことが予期され残念でした。(実際は、字面ほどは深刻には考えていないです。NEWSに似合うアプローチだとも思ったし、良い曲になっているのだろうという期待もしていました。)

でも、実際に曲を聴いたら恐れていたほどではなかった。まず”オレ等がついてるよ”系ではなかった。それどころか、自分による自分へのエールの曲でした。しかもわりと地道で丁寧な応援歌。なので精神をそこまでやられずに聴くことができました。彼ら自身が語るほど「NEWSに重ねて聴く」ことも容易だったし。

それに、こういう気持ちには慣れている。さらに、作品への評価と個人的な好みは位相が異なると考えているので『U R not alone』に対する彼ら(やファンの方々)の熱量についていけない自分に若干の後ろめたさは感じるけれど、好みの問題はどうしようもないという割り切りも通常運転。外部から評価されているし、自分も評価しているあるいは外部評価を正当なものだと感じるし、さらに個人的にも好みだし、なんて3拍子がそろう曲なんてそうそうない。*5 逆に言えば自分の好みではなくたって、何かの文脈で評価できると思えれば、それだけで充分だと。そういう意味では、積極的に「好き」とは言えなくても、『U R not alone』は応援歌として誠実だと思ったし、アプローチもおもしろいと思ったので「良し」としていました。

…とは言いつつも、ライブの情報がほんのり流れてくると、やっぱり合唱するようだとわかってきて、新たな不安が生まれました。ライブに参加したときに、その雰囲気に入り込み程よいテンションで歌うことができるかなぁ、逆に周囲との温度差に冷めてしまったらどうしよう、最後の最後でそんな気分になるのも嫌だなぁ、と。しょうがないとはわかっていても。

 

そんな不安が心の隅にかすかにチラつきながら、NEWSのライブに参加させてもらいました。6/10(土)のことです。

ライブの最後、『U R not alone』が始まり、気がつくと私はこれまでのどんなライブよりも声を出していました。間違いなく。引くほど歌っていました。自分ではそこまで何かのスイッチが入っている実感はなかったのですが、あおられるままに大熱唱。何度もさらなるボリュームアップを希望されるので喉がイってしまうかと思いましたよ。私も声が高いほうではないので、高音はだんだん上がりきらなくなってきて、いっそ裏声に切りかえようかと考えたくらい(笑)本当に大声で歌ったので、音やリズムが外れていたら周囲の人に申し訳なかった。とにかく、こんなに声を出したのは久々でした。

その時は無心に歌っていたのですが、改めてなんでこんなに歌ってしまったのだろうと考えると、理由の一つは、周りも大合唱なので浮く心配がなかったということがあると思います。ダンスでは、行進しながら回ったら、周囲は誰も回っておらず、ばっちり後ろの人達と目があってしまい、もんのすごい恥ずかしかったです。後で増田さんが「みんな回るのサボってない?」的な苦言を軽くのたもうていて「そうだよね!回ってほしいよね!!」とひどく同意した。自分もその1回しか回らなかったのに(笑)ダンスではそんな感じだったのに、『U R not alone』でそこまで行ったのはやっぱり彼らの力だよなぁと感嘆します。

…と書きつつ、よくよく思い返してみると、歌っている時は他の人の様子をそれ程気にしていなかったようにも思います。歌い出しは多少気になった気もしますが、進むにつれて気にならなくなったのかな。他の人達と一緒に歌っている意識はありながらも、対NEWSに集中していたように思います。

では、なぜそうなったのか?最終的にはNEWSに対する信頼が勝ったからかもしれません。(注:ポエムっているのではなく、真顔の感想。)演出の幅を出すためとか、ファン参加のコーナーを設けたいからとか、そういうねらいを超えて、きっと彼らはファンが歌うことをただただうれしいって思ってくれてるんだろうなという信頼。この声を心から喜んでくれるであろう信頼が。だから恥ずかしがったり恐れたりせずに全力で歌えたのではないかと思います。(個人的には、増田さんが歌い出しにつまったことも、最後の一段階を越えさせてくれたきっかけかもしれない。もっともっと聴かせてやるぜ(なぜ上から?)という気持ちになった気がするし、そこで「対NEWS」に心がロックオンしたような。)

そして、やっぱり歌う曲が応援歌である『U R not alone』だったからだと認めざるを得ません。NEWSに重ねて、自分に重ねて、多くの人が歌に想いをぶつけていました。応援歌の力ってすごい、と思わずにはいられない。それに、応援歌を自分が応援したい人に向かって歌えるって幸せなことですね。しかも、それをちゃんと聴いてくれてる!個人的には共感の限界があるものの、応援歌がもつポジティブな面を体感することができたので、恨みにも似た苦手意識は少しだけ浄化されたような気がします。

興奮冷めやらず、帰りはカラオケに歌いに行きたくてしかたなかった。(それよりビールを選びましたが←)

 

そして、翌6/11(日)、21時頃を迎えると、「あぁ、また大合唱しているんだなー」とうらやましく思う自分がいました。一緒に歌いたかったなぁなんて柄にもなく思ってしまった。

で、終演後に流れてきた皆さんのレポが、さらに想像を超えてくるわけです。すごいな、NEWSは、と。毎回エモさを塗り替えちゃって、どこまで持つのかな?なんて余計な心配をしてしまいました。これを杞憂と言うのね。(ちなみに、11日の『U R not alone』関連レポを読ませてもらって私が強く思ったのは「手越くんすごい」でした。だってここまで感情があふれてしまうほどの想いを抱えながら、彼はこのツアーを乗り切ってきたということではないですか。よく途中で崩れずに最終日の最後の最後までおさえて来たなぁと。ものすごい精神力。私が参加した10日にも、彼がそんなになるほど抱え込んでいたなんて気づかせる素振りはなかったと思います。少なくとも私は感じ取れなかった。サービス満点のアイドル手越くんでした。度々書いていますが、私なんかはゆるい人間なもので、そこまで完璧じゃなくていいのにと思ったりします。でも、彼自身はそこを乗り越えることを自分に課していて、乗り越えたことでまた自信をつけ、あるいは自我を保つのだろうと。なので、結局は彼の思う通りにしてくれたらいいし、見守るのみスタンスです。だからこそ、今回のことを彼自身はどう思っているのかが気にはなっていますが、個人的にはむしろ安心した。アイドル現場で心を引き締めている彼はプロだとは思う。でも、特に今回は、ファンとの関係において抱え込んだ気持ちなのではないかと推測しますので、そこで抱え込んだものがファン自身の手によって解かれたのだったらうれしいなと思うし、もしそうなら、ファンとの間にあった緊張感が解かれたことをファンの前で表してくれることも自然なことだと思うのです。そこを見せない必要ある?互いが直接交流できるライブならではのコミュニケーションじゃないか、と。*6

 

とりあえずの決着、そして戦いは続く 

果たして、『U R not alone』は私にとっても大切な曲になりました。

NEWSに重ねて聴くだけでない、自分の体験に重ねられる生身の曲になりました。

『U R not alone』は現実の歌、と加藤さんは言ってくれていたけれど、音源で聴いている段階では、私は自分の現実と結びつけることができていなかった。そういうコンセプトで曲を配置していることは素晴らしいと思ったし、ファンを想ってくれる姿勢にも一ファンとしてうれしく思っていた。でもね。

しかし、繰り返しますが、この体験で私にも「現実の歌」となったのです。NEWSのライブで他の方々と一緒に、自分でも引くほどの大熱唱をした曲。補足するなら、増田さんが歌い出しからつまった曲。(さらに補足するなら、それを他のメンバーがフォローした曲。)まごうことなき「現実の歌」です。

一般的な好きとはちょっと違う角度かもしれないけれど。

NEWSが願っているであろう好きとも違うと思うけれど。

そして、あいかわらず応援歌は苦手だけれど。 

今後『U R not alone』を聴く時は、別の意味で胸がいっぱいになりそうです。*7

 

はー。こんな『U R not alone』記事を書くことになろうとは、自分でも驚き。こんなことを書いている自分はバカみたいだなーというなさけなさと恥ずかしさと、でもこんなに感情的になれるなんて貴重なことだしなーというゆるい肯定と…まぁ様々な感情がわきましたが、最後までたどりつけて、ほっ。

 

いつか私もストレートに何かを追いかけるような日が来るのかな?んー来ないかな?

でも、もしそうなったら。もし大切な何かを持つことになったら、応援歌をたくさん聴いてたくさんの元気をもらいたい。そうなるのも思っていたより悪くないかも…なんて今は少し思います。

 

*1:あ、この頃応援歌が増えていると思うのは、私自身がアイドルの曲をよく聴くようになったからかもしれないです。アイドルは前向き…。そこが良いのよ?

*2:関係ないのだけれど、「負け犬」と「自己責任」が流行語になったのって両方とも2004年なんですね。今は少しゆり戻しが来ているような気はするけど。

*3:「恋愛」テーマに失恋や別れの曲があるように、「応援歌」にも幅があると考えたらもっと楽になるのかなー。例えば「生き方」テーマという大きな枠の、一部に位置づけられるのが「応援」系であると捉えれば良いのかも。「生き方」テーマの中で”正””善”ベクトルが強めのジャンルが「応援」系なのだという風に。そう考えると、「生きていく事など死ぬまでの暇つぶし」と歌う斉藤和義『ジユウ ニ ナリタイ』ジユウ ニ ナリタイ - 斉藤和義 - 歌詞 : 歌ネットとか、「死にたいな 生きたいな どっちでもいいや」と歌う神聖かまってちゃん『芋虫さん』芋虫さん - 神聖かまってちゃん - 歌詞 : 歌ネットとかは、「応援」系とは違うジャンルの「生き方」テーマの曲と捉えられるかもしれない…(とっさに思いついた曲なので、もっとフィットする曲があるかもしれません)。そうそう、2008年北京オリンピックテーマソングのMr.Children『GIFT』GIFT - Mr.Children - 歌詞 : 歌ネットは、人をフワッと支えながら多様性を認める珍しいタイプのオリンピックテーマソングだなと思いました。Mr.Childrenと『GIFT』への思い入れは個人的にはないのですが、今回歌詞を検索してみてほろりとしました。応援歌における癒しキャラだ…。あるいは新ジャンル応援歌と言っても良いかもしれない。さらっとしか見ていないので他の曲ときちんと比較しているわけではありませんけど。さらに余談ですけど、海外の応援歌も気になってチラと見てみたら、ロンドンオリンピックの公式ソングだったらしいMuse『Survival』のアグレッシブさにびびりました。ここまで行けば逆にテンション上がるかも←。応援歌代表として見てみた歴代のオリンピックテーマ曲はすごく興味深かったです。ついつい傾向を検証してみたくなりましたが、本題ではないので汗

*4:私が自分をダメ人間であると思う大きな理由はこの呪いのような気がします。こんなことに心かき乱されるなんてヒマだからだなーとか、いい歳してまったくとか、思うんだけどね。そういう状態だから小中高大学生時代にスルーしてきたアイドルを好きになって、それによって何かを見ないふりをしているのでは、という暗黒系疑いもある。「”夢”って何でしょうね…」と、鬱方面に脱線しそうですが、今回はここらで踏みとどまっておきます。

*5:聴くタイミングも重要だと思う。だからこそ、今の自分の理性にも精神にもジャストに刺さった曲というのは大切にしたい、と思うのです。

*6:脱線しますけど、11日のレポを読んで「増田さんはどした?」と、なっていました(笑)手越くんに対して、加藤さんが…とか小山さんも…という情報はたくさん見たのに、増田さんについてはからんだ情報が入手できず。微妙に不完全燃焼でした←。しかし、翌日のワイドショー映像を見て心の中でちっさくガッツポーズをしました。登場した時、増田さんが手越くんの肩に手を回しているではないですか!!もう!!なにさ!!(冷静さを失っています。)それに映像を見たら、自分の想像だけの時とは気持ちが変化しました。こんな小さなことが引っかかっていたのかと(笑)やっぱりなるべく情報を入れて受け取る必要あるなー。

*7:とか言って、数日後には普通に聴けるようになってしまうのだろうとは思いますが。だから早めの映像化をぜひ。←急な催促

NEVERLANDへの鍵 × ロゼット

近づいてく近づいてく~押し出される~うぉ~お~おお~*1

ということで、私が参加できるNEWSライブがとうとう今週末にせまってきました。先ほどはVS嵐を見ながら「週末には生小山さんを見れるんだ…」とニヤニヤが止まらなかったです。長かった!けれど、この期待と不安が入り混じったわくわくが終わっちゃうのかと思うと早くもさみしかったり(笑)

さて、その前にちょこちょこ作ってきたモノを、この場を利用して紹介…させていただきたいと思います。(う゛…色々な意味で無性に恥ずかしい…。) ライブに行ったら曲のイメージが大きく変わりそうなので。

 

改めまして、ロゼットってご存知ですか?アクセサリーとしても近頃よく見かけるし、ウェディング関係ではポピュラーなようなので知っている方が多そうですね。元々、西欧諸国の伝統的な徽章(きしょう:徽章とは - Weblio辞書)だったり、勲章の一形態だったりするようです。(ざっくり)

今回「NEVERLANDへの鍵」を手にしたとき「これはロゼットにできる!」と思い立ちました。以下に、鍵に意欲をかき立てられ、ロゼットの形を借りて制作したモノたちをご報告。

 

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『NEVERLAND』アルバムビジュアルイメージ

イメージは星!!スター!!家にストックしていたリボン(青系)+100均リボンで作ったので、色合いはなんとなーくです。 衣装の水玉がかわいいなと思ったので、一度使ってみたかった羽を取り入れてみました。鍵がのっている中央部分は黒い生地に黒いレースをかぶせています。

 

以下は、曲のイメージで。

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NEVERLAND

曲のエスニックな雰囲気が出せないものかと、柄があるリボンを使用。イメージ的にはネバーランドの海賊・インディアン・子どもたち・ピーターパンの4種(×NEWS4人)です。なんで7種にしなかったんだろう…とも思ったりしますが←。曲の豪華感を出したくて妙に大きくなりました!中央部分は革。(写真でみると違いがわからん。中央部分、実はみんな違います。)

 

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アン・ドゥ・トロワ

一番プレーンなロゼット。曲名由来でリボンは3連に。微妙に異なる3色を使ってます。で、偶然ほかの事に使って余っていたトリコロールカラーのリボンを(しかし、向きが反対)。安易な気もするけど、これがなかったらちょっとさみしい。個人的に記念すべき第1作目のロゼット。

 

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Brightest

最後に作ったのでリボンのバランスには一番こってます(笑) 金色のリボン(たしか購入した中で最も高級だった)を後方のチラ見せ配置に。もうちょっと都会の夜感を出したかった気もする。かっこいい曲なんだけど、ちょっとかわいらしくもあるので、ポイントにリボン(先日お土産でもらったお菓子についていた)をつけてみました。中央部分にはベルベットのリボンをぐるぐる。ちょいエロ?

 

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BLACK FIRE

「BLACK or WHITE」と歌っているのに、FIREイメージで赤を選択(単純)。ちなみに『Brightest』と『BLACK FIRE』のロゼットは炎や光のフレア感を出したくて、上の3つとは違うリボンの折り方をしてみました。アルファベット判子が曲がってたり、リボンの長さそろってなかったり…するね←。

 

個人的にパッとロゼットのイメージが 浮かんだ曲にて制作しました!見てくれた方のイメージとは近かったり遠かったり…どんな感じなのかな。

鍵は一つしか持っていないので、各ロゼットには取替え可能なように引っかけられる金具をつけています。

具体的な作り方についてはネット上の様々なサイトを参考にさせていただきました。

それと、デザイン的なところは、下記のWHYTROPHYさん*2のサイトと書籍をかなり参考にさせていただいています!素敵ロゼットがたくさん。

リボンの勲章ロゼット WHYTROPHYオフィシャルサイト

ロゼット リボンの勲章をさがして

ロゼット リボンの勲章をさがして

 

もともと雑誌『ku:nel』の2010年11月号のロゼット特集*3 を見てから、いつか作ってみたい、と。今回、鍵をきっかけに挑戦できてうれしいです。夜な夜なチクチク縫い縫いしてました~。(客観的には考えないようにしたい光景。)

作ってみて、ロゼットは”形”になりやすく、初心者が挑戦しやすい題材だと思いました。材料費や道具等の面でもとっつきやすいし。おススメです。しかも奥が深そう!(きっと何事もそうですね。) 私はすんごく楽しかったです!←

完全なる素人かつ不勉強のため、基本がなっちゃいない!とかリボンの歴史や柄の由来がわかってない!とか色々お目汚し箇所があるかと思います。実際すごく邪道な作り方をしている(汗) が、せっかく作ったし…さ。ここで見てもらわないと後は家でほこりをかぶるだけの運命なので…ね。うん、この場があって良かったよ。*4

 

それと、改めて増田さんすごいなーと(急に)。イメージに合わせてリボンを3種類くらい選ぶだけでも相当消耗しましたもの←。(楽しい消耗だけど。) 衣装のことを思ったら、想像もつかないほど果てしない。もちろん関係スタッフさんの知識や技術を総動員して取り組んでいることと思います!プロはすげー。積み重ねも大事。そして衣装チーム増田の仕事がますます楽しみになりました。

 

よし、あとはライブに行くだけだー!!

 

*1:©ドリカム『決戦は金曜日』どれくらいの世代まで伝わるのか?

*2:Vol.4 ロゼット/ワイトロフィー | MAKING THINGS

*3:WHYTROPHYさんの書籍紹介の特集でした。

*4:たぶん、手作り紹介をするのは今後もまれですけども。