キラキラの方へ。

しがないミソジのゆるふわ雑記

少し憂鬱でいたい、雨の日の8曲

梅雨ですね。*1

私のポータブルオーディオプレイヤーには雨に関連する曲を集めたプレイリストがあります。

その中でも、今回は少し憂鬱な気分にフィットする曲をピックアップしてみました。

雨の日の過ごし方は様々。雨に負けずに活動的に過ごしたい日もあれば、雨なのを良いことに物思いにふけりたい日もある。今回は後者です。

選曲にあたり一つ注意したのは、激しく憂鬱な気分にはならないこと。少し憂鬱というライン。この加減はあくまで私の独断なので、人によっては「憂鬱でもなんでもないじゃないか」とか「この曲、めっちゃ凹むんだけど」って人もいるかも。あくまで私の今の感覚なのでよろしくです。

 

 

 『雨の日と月曜日は』カーペンターズ / “Rainy Days and Mondays”Carpenters 


Carpenters - Rainy Days And Mondays

イントロから憂鬱な雰囲気をかもし出してきます。

1971年に発表された曲だそう。私が知ったのは、たぶん親の影響。タイトルのイメージで、漠然と、雨の日と週のはじめは憂鬱だという曲だと思っていました。そりゃ、憂鬱だよね、と勝手に共感して。

だけど、今回改めてちゃんと聴いてみると、この曲で感じる憂鬱はもっと重いな、と。(もちろん雨の日と月曜がこの曲ばりに憂鬱な方もいるでしょうが。)

それで歌詞を調べてびっくり。仕事や学校が嫌だとかいう内容じゃなくて()、愛の歌でした。すごく大人な。手に入れたはずの愛に感じる憂鬱。生暖かい惰性とそれを苦痛に感じてしまう自分と。これはなかなか。気になる方はぜひ調べてみてください。

けれどたとえ詞の内容を知らなくても良いのには変わらない。私もずっと知らずに聴いてきましたので。

 

『雨のステイション』荒井由実

tower.jp

こちらも大定番。荒井由実時代に他にも好きな雨の曲はあるのですが、今は6月なのでこちらを。

過去になってしまった人を断ち切れず、一人動き出せずにいる。ひたすら切ない。でも悲壮感はなくて、やわらかです。少しの後悔と期待とあきらめとの間を揺れ動く心。次の何かに動き出す前に、自分の中でちゃんと終わりにできるまでやりつくしたい、のかな。

絵に描いたような憂鬱。悪い意味ではなく、多くの人に共感される曲だろうと。共感されるのに凡庸ではなくて、いつでも鮮やかな印象。

 

『ばらの花』くるり


くるり - ばらの花

私にとって世代の一曲。雨に似合うピコピコ感。淡々と刻むリズムが、しっとりしすぎず絶妙です。

詞もすてき。詩的。「ここが良い」と書こうと思ったら、どこを切り取っても良かった…。

二人の関係はどうなっていくのか。胸が痛むなら、まだ?

SUPERCARフルカワミキさんがコーラスで参加しています。どういう経緯だったか、友人に誘ってもらったくるりのワンマンライブにフルカワミキさんがゲストで現れて、生『ばらの花』を聴くことができたのが、今でも心の中の自慢です。←

 

 『髪をほどいて』bird

髪をほどいて

髪をほどいて

  • bird
  • J-Pop
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes
髪をほどいて

髪をほどいて

  • bird
  • ロック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

作詞はbird、作曲は元キリンジ、現KIRINJIの堀込高樹さんです。ラジオで偶然流れたのが初聴き。そこで「絶対キリンジ!」となったほどにキリンジ(兄)節。

前の3曲とは少し雰囲気が変わって雨足が強くなっていくイメージ。詞にも「スコールが来る」と。(視聴部分がずれているので2種貼ってみました。)

この曲はセクシーだなぁと思います。少し歌謡曲のような、おしゃれ過ぎないところが”生”っぽいのかも。雨に濡れた感じがまた。彼の気持ちをつかみきれない片思い。ほんのり憂鬱だけれど、熱い愛の曲。

 

『陽炎』フジファブリック 


フジファブリック (Fujifabric) - 陽炎(Kagerou)

雨の曲、じゃないかも(汗)タイトル的には雨上がりがメインの曲になるのでしょうか。曲中で雨が降って、そして上がっています。夏のにわか雨のイメージ。今回選んだ他の曲に比べて勢いがあります。

思い出を語る曲。わかりやすいまとまった感情に収束せず、けれど無性に切なくなります。無くなったものと変わらないもの。そうした時の流れに時折ついていけなくなったり、無くなったものがなつかしく恋しくなってしまう自分との葛藤のような。いらだちも感じる気がします。

終わり方も良い。余韻。

 

『Rainning』Cocco


Cocco - Raining 【VIDEO CLIP SHORT】

これまた私の世代のど定番。だいたい定番しか選んでないけど。思春期に聴いてしまったら一生残るんじゃないかなーと思う一曲です。少なくとも、私は、今のところ。人間的にも、その頃とあまり変わっていないもので(汗)この繊細さと激しさにどこかあこがれてしまう。生きるのがきつそうだなと思うのだけれど。だからこそ、想い返す意味がある曲だとも感じます。この曲を聴いても苦しくなくなるのはいつになるだろう。そうはなりたくないと思う自分もいます。

実は、曲のほとんどを占める思い出の中では雨が降っていません。雨の描写は一瞬だけ。そういう詞とタイトルの構成にも惹かれます。

雨に関連した曲には思い出を語る曲の割合が多そう。過去を想ったり、いつもの自分や相手との関係をふとふりかえってしまうような。物思いにふけるのに雨の日は適しているからなのか、活動的になれないために思わず物思いに導かれてしまうのか。

 

『不思議なくらい』おおはた雄一

tower.jp

選曲した中では、きっと一番やわらかい雨。雨音もしない細かな雨、と歌われていますので。曲も終始やわらかです。

まずイントロがすごく好き。雨だなぁ。リンク先の視聴でイントロから聴くことができますので、ぜひ。

この曲は、詞としては今回選んだ他の曲ほどは憂鬱ではないと思います。ただ、なんとなくぼーっとさせられる。暗い気持ちになるわけではなく、つつまれていくような。心地が悪いわけではないのだけれど、閉じこもっているような。以前取り上げたマンガ『小さなお茶会』に「雨の日ってゼリーみたい…」というセリフがあるのですが*2、私の中ではそういう雰囲気を感じる曲です。

当時タワレコで視聴して購入しました。良い買い物をした。ちなみにこのアルバムの中では『おだやかな暮らし』が一番有名なのかな?クラムボンがカバーしています。

 

『Little Girl Blue』Laura Mvula / Nina Simone


Laura Mvula - Little Girl Blue (Taken From 12 Years A Slave OST)

Little Girl Blue

Little Girl Blue

  • provided courtesy of iTunes

繰り返しカバーされてきた名曲のようです。元々はミュージカルの曲だとか。それを様々なミュージシャンがアレンジを加えながらカバーしてきた模様。1曲目のカーペンターズや、ジャニス・ジョプリンなども。

私は、今年に入ってラジオで一聴き惚れした新参者です。聴いたのはLaura Mvulaバージョンでした。ピアノと歌声に心つかまれて。

Laura Mvulaバージョンは映画『それでも夜は明ける』のサントラに収録されています。映画を見ていないのだけれど、どういうシーンで流れるのかとても気になる。

そして、このピアノアレンジの元になっているのがNina Simoneバージョンのよう。Nina Simone自身のピアノ演奏にのせて歌う映像が見られました。(公式じゃないようなので貼れませんが。)Nina Simoneバージョンは叙情的なピアノがとても好き。Laura Mvulaバージョンのピアノは少し抑え目で美しく、Nina Simoneバージョンのピアノはエモーショナルで心乱されます。声も独特。好き嫌いが分かれそう。

あと詞も絶品だなぁと。曲だけでなく詞も美しい。つまり総合的に美しい。こんなやさしい音にのせて歌っているのに、さらりと絶望的です。曲の雰囲気に救われて、不思議なバランスが取れているような気がします。*3

 

 

以上、少し憂鬱でいたい雨の日の8曲でした。

他には宇多田ヒカルさんの『真夏の通り雨』を入れるか迷いましたが、個人的にこの曲は憂鬱どころじゃなくて、心えぐられるので入れませんでした…。楽しい雨の曲にも好きなものがあるから、ちょくちょくためて行こうかな。

容量が少ない自分のポータブルオーディオプレイヤーのプレイリストから選んでいるから、客観的ではまるでなくて、自分の記憶や気持ちとつながってきた選曲になっているかと思います。私がJ-POPやJ-ROCKと言われる分野で育ってきたこともあって、全体的にメロディアスかな。リリース時期もわりと限定的かも(笑)

あと、どこか甘い雰囲気のある曲が集まっていました。エネルギーが発散されぬままに鬱屈して留まっているような、モラトリアム状態のようにも感じます。こうした状態を経ることだって、意味のないことではないはず。

片よりまくりではありますが、物思う日に聴いてみてもらえたら幸いです。

 

 

*1:…と書き出したのに、関東は今週お天気がもつみたいだし、沖縄はもう梅雨明けに。タイミング(汗)

*2:猫十字社小さなお茶会・完全版 第1巻』p44、2004、扶桑社

*3:ちなみに、しばらくはNEWS増田さんのソロ曲『Thunder』の後に聴いていました。『Thunder』で傷ついた心を受け止める曲として(笑)希望があるわけじゃないけど。落ち着く。あの、この記事はNEWSのあれこれをかけているわけではないですから!むしろNEWSのことがあってアップするタイミングを逃したのだー(八つ当たり)私自身、前の記事では凹みまくっていますが、今は復活しているし!←

試されるワタシ

やっぱり結局もんもんとしている。自分の気持ちがゆらゆら右へ左へ上へ下へ落ち着いてくれない。

自分がどういう視点でこの事態に対処するかが定まらない。一ファンとしてなのか、一大人としてなのか、一一般人としてなのか、一人間としてなのか。

彼らとの距離のとり方も定まらない。彼らを個人として見るか、人間一般として見るか、大人として見るか、社会人やプロとして見るか、芸能人として見るか、アイドルとして見るか。

ごちゃ混ぜになって、まるで収拾がつかない。

 

彼らのダメだったところを上げようと思えば上げられる。「~すべきでなかった」「~を配慮すべきだった」「~の意識が足りなかった」「~は一般常識からは外れている」…等々々。

そう糾弾するのは、裁くのは、ファンとしての私なのか、社会人としての私なのか、一般人としての私なのか、人間としての私なのか、それによっても様々に心が動いた。

どこかに自分の軸足を置いて、どこかに彼らとの距離感を固定して、そうして考えられたらどれほどすっきりするだろう。

でも定めたところで、それではどうしても”本当”にはならないように思える。ウソではないけれど、本当でもない。居心地が悪い。

 

それに、それをはじめようとすると、そもそも論になってしまった。そもそもアイドルがキャスターをすることをどう考えているか?そもそも芸能人にどこまで求めるつもりか?そもそもリスクマネジメントはどこまで可能なのか?とか。そうすると、彼らの仕事の幅をどんどん狭めて息苦しいものにしていくか、あるいは、割りきりまくってラインを引きそれ以外は期待しない、という結論に行き着きそうな予感がした。どちらになるのもなんだか嫌だった。

 

まとまらない。自分のスタンスが。私はなんでこうなんだろう・・・と自分自身の在り方に迫られるのもきつかった。仕事でもないのに、こんなに時間をかけて、話したこともない”アイドル”のことを考えている自分ってものに嫌気がさしてきた。全てほっぽりだしてしまおうか。シャットダウンしてしまおうか。忘れてしまおうか。さもなければ、わりきってスタンスを決めてしまって、それ以外は考えなくした方が楽なのかなとも。

 

こりゃ「試される大地」ならぬ「試されるファン」だ…ってのが、心の中でプチヒットした。

つら。なんで試されにゃならんのだ。

 

これまでの数々の事態を乗り越えてきたファンの人は本当にすごい。今回のことは彼らがそれらを乗り越えてようやくじわじわと安定期に入りだし、15周年のお祝いもひかえ、期待がふくらみまくっていた矢先の出来事だ。だからこそ失望感も怒りもやりきれなさも果てしない。

そして彼らだってそれは同じはず。いや、彼らの方が。だから、自分の行いによって仕事もプライベートも人格さえも攻撃にあっている人を、あえて私が攻撃する気にはとてもなれない。

自分の気持ちを吐き出すだけでも、それは攻撃になる。いい。吐き出していい。ものすごく傷ついた人が吐き出すことで少しでも楽になれるなら。だけど私は荒い言葉をぶつけなくてはいられないほどには、ファンとして哀しいことかもしれないけれど、傷ついてはいない。

じゃあ諭してみる?それもいい。それは彼らを信じていたからだ。期待していたからだ。それか、今も期待しているからだ。きつく言わないことは、彼らを堕落させるのだろうか?でも、やくざな生活している私には社会人として述べられる言葉もない。

 

結局、前2つの内容も中途半端になっていると思う。自分の立場も中途半端だから。ファンとしても大人としても。

もっとしっかりした人間でいれたら、しっかりした熱いあるいは冷静な言葉をつむげたのかもしれない。自分にもがっかりしている。

でも、それが現状の自分。今はあまり無理をしたくない。逃げかもしれないけれど。

 

前回書いたときには少し整理できた気がしたのにな。けれど、色々な人の反応に触れて、再び頭の中が混沌としてきた。しばらくは揺れまくっていることでしょう。それが正直なところ。定まるまで無言を貫くということも考えたけれど…とりあえずここに記録します。

 

今日は「きっと」を考えている。

ころっころ変わる。気分が。こういう優柔不断な人間なんです。あんまり確固とした自分の信念、みたいのがないの。だからいつも文章が長くなるしまとまらないしいつまでたってもアップできない。逆に私には毎日ちょこっと書くくらいのペースがあってるのかもなぁ。毎日書いて毎日訂正してったらいいのかもしれない。ま、不精なんで無理ですけどね。

 

さて、昨日はなんだかんだで自覚してるより気持ちが落ちていたみたいです。悲観的だった。発表された対応の内容にほっとしたほど、もっともっと悪いことを想像していたくらいだったから。

実際はタイトルとは正反対の心持だった。だから自分に言い聞かせるためにあのタイトルにしたのかもしれない。ウソだったわけじゃないけど、やっぱり考えちゃってたんだ。残念でならなかったんだ。失った「もしも」のこと。

それにね、まだ「待ってる」って言えないなと思っていた。なぜなら、後ろ指さされたりせずにこれからもバンバン輝いてほしいから。はれ物に触るみたいな扱いも受けずに、気持ち良く活躍してほしいから。つらい状態や気持ちのままでは、その世界にずっといることなんてできないだろうから。いい顔しすぎて崩れてしまったり、逆に暗い方へ発散させるようになる可能性なんて絶対残してほしくないから。

そのためにはいったんケリを、きっちりカタをつけてほしいと思った。そこを飛び越えて、今すぐ腕を広げてしまったら、逆にきっとたぶん良くないことになる気がした。

だから距離をとっていたと思う。

 

そういう気分が、今日になって少し変わった。だってね、小山さんと加藤さんは驚くほど働いてきた。小山さんの24時間TV年の大活躍も記憶に新しいし、加藤さんも重めの大役を任されたりしてきている。そんな仕事が来るに至るには、どれだけの積み重ねがあったんだろう。どれだけ期待を裏切らずに来たんだろう。

昨日の『news every.』の藤井さんはお休みだったのに駆けつけたと聞いた。小山さんに「見違えるほどの変化や成長を見せてもらいたい」と言っていた。今の段階では言い過ぎじゃないかというほどの激励だと感じた。そして今日の『ビビット』では真矢さんが加藤さんを「誠実で寡黙で、スタッフ・キャストからすごく人気がある子」と評していた。問題を起こした人に対して、そんなに簡単に期待したり擁護するような態度は見せられないと思う。本当にそう思っていなかったら。お気楽かもしれない。でも、昨日までのことが無になるわけじゃない。周りの人の中で生きてる、と思えた。ファンはね、遠くから想像することしかできない。だから場合によっては、新情報をきっかけにイメージが反転してしまうことがある。でも直接接してる人は、なかなかそうはなりにくい。例え異なる面を知っても、今までのことが全て”ウソ”だったなんて思わない。たいていの人はそんな上手にウソはつき続けられないし、そんな簡単にだまされ続けたりもしないから。実際に、私の仕事関係の人がハラスメント行為で告発されたことがあった。がっかりしたし、そんなことをする人だったのかという衝撃もあった。でもなんとなく思い当たることもあった。それは事後評価ではあるけれど。そして、その人のそういう部分が、仕事面ではプラスに出ていたんだとも感じた。その力をマイナスの方向に使ってしまったんだ、とそんな気がした。その行いは許されないし改めてほしいけれど、結局その人のこれまでのイメージが大きく変わることもなかった。良い仕事はしていたと思うし、そこは事後も否定したくなかった。

残念ながら、現場の感触と、公の判断は結びつかないことがある。だから白紙になってしまうことはあるだろう。私も、立場上その人と一緒に仕事をすることはもうできなくなった。ごめんなさい、あまり慰めになる例じゃなかった。

でも、根底にはきっと流れ続けていくから。完全に縁が切られてしまうのでなければ、無には帰さない。そうわずかに期待しているのです。

きっと過去の自分が助けてくれる。彼らの曲の詞にあるように。皮肉なことに、今回の出来事は過去の自分のやったことが一因ではあるけれど。でも助けてくれるのも払拭していくのも過去の自分と、これからの自分。だよね?こんなこと、彼らには言うまでもない。

 

私はね、ぶっちゃけ聖人君子じゃなくて良いと思ってる。小山さんはお茶目で素直でおっちょこちょいでいいじゃない。加藤さんだって、たまにはカッコつけてみたりウェイウェイしたっていいじゃない。それが彼らの表の魅力とも背中合わせになっている。人を傷つけたり、軽んじたり、貶めたり、陥れたりしなかったらいいよ。人間性を疑うようなことがなかったらそれでいい。もちろん、今回のことが人間性を疑うことだった人もいるかもしれないし、それは否定できない。危険な飲み方をしていたのは事実だそうだし。あんまり清潔感を感じる場でもなかったのかなぁとも思っちゃうしね。でも、私のイメージはくつがえってはいないんだよね。

また言っちゃうけど、週刊誌にのってる女性に対しての小山さんの発言(とされてるもの)、少々軽率なセクハラ要素は入っているけど、私には悪い人にはやっぱり思えないなぁ。裏の顔、なんて風にも思えない。いつものノリの小山さん(のセクシーバージョン?)にしか思えないんだよなぁ。キャスターの小山さんイメージが強い人とか、うがった目線に(望んでいなくても)なってしまっている人が読んだら違う感覚になるのは想像できなくないけど。あえてピックアップされた発言がこれか、と思うと、私はなんだか笑ってしまう。小山さん、肉食を公言してるしなぁ。何を今更と。「肉食」発言については、前にも書いたけど、私はどうかと思うけどね?「肉食」って言葉は、相手の人格を尊重する表現にはあんまり思えないからなぁ。

 

…いけない。厳しいファンをやらなくては。まだ彼らを見ていたいから。

たとえ人間性は疑わなくても、立場ってものは大事だからね!!立場にふさわしい行いってものも、厳しいかもしれないけど、あるんだろうからね!!立場を考えないでいること自体が、信頼を傷つけることなんだからね!!

…ダメだ、もう説得力ないわ。私。もともと言えるような人間でもないし、彼らの方が本来はよっぽどしっかりしてるだろうしね。

ただ…そうだ、小山さん。”アイドル”という自分の職業を愛してる?尊敬してる?重荷になってないよね?でね?小山さんの周りの人も、小山さんの職業を尊重してくれている?隠したり権利問題に協力的とかっていう意味ではなくて、認めて大事にして肯定的に思いやってくれているのかな?甘ちゃんだけど、私はそういうことは大事なのではないかと思う。もし”アイドル”という職業が自分を縛るものになってしまっているのなら、それは精神的に良くない。そんなことはないと思うけど。

 

15周年ライブを想像したとき、ちゃんと楽しめるかな?と、少し思った。もしそこが小山さん復活の場になったら、どんな顔をすれば良いのかな、とも。でもね、ちょっとくらい気まずくても何でも良いんだよ。小山さんがいないことに比べたら、そんな気まずさはなんでもない。その気まずさが少しでも和らぐように、その日までを過ごして見せてほしいな。

 

ちなみに気分が変わったきっかけなんですけど…その一つは、お恥ずかしながら『NEWSに恋して』の加藤さん本編なんです。今日も意地で読んだんだよね。そうしたらちょうど加藤さんががんばってお仕事してるところの話でして。「そうだよ、彼らすごい働いてきたじゃない!」って、フィクションから現実の彼らを思い返してはっとしたのです。はーずーかーしー。なさけないなー私。

そしてもう一つは、今日(8日)更新された増田さんのJohnny's webでの言葉。重めの気持ちで開いたから、出だしを読んだ時は「?!」ってなった。私との温度差ときたら!!で、最後まで読んで、「そうか」って。「そうなんだね」って。増田さんは前向きなのかな。前向きに見せてくれてるのかな。どっちでもいいか。それに乗せてもらおうかなって。ありがとうね。増田さん。本当に。

NEWSにはポジティブ手越くんもいるしね。あ、でも無理やりポジティブにならなくて良いからね。ゆがんだポジティブになりそうだったら、ちょっと一呼吸おいてほしい。まずはワールドカップだし。

 

と、いうことで、連日の乱筆乱文お騒がせいたしました。今日はまぁまぁ甘々前向きでお送りしました。長年応援してきた人ほどつらい気持ちでいるだろうから、私なんかは軽いと思う。無神経なことを言っていたら本当にごめんなさい。こういう気持ちの人もいるんだくらいでお納めください。私も明日はわからないし。色々なことを見せつけられて、落ちたりもするんだろう。

この出来事は始まったばかり。未来の「きっと」は、これからの一つひとつが再び造っていくんだよね。その一つひとつを見守っていけたらと思っています。偶然同じ時代を生きていて、偶然目に入っちゃった、偶然の縁。いつとぎれると知れない縁ではあるけれど、まだ切らずにいてほしいなぁ。