カレーと私
嵐が2020年大晦日での活動休止を発表した1月27日から、私にとっての2020年はオリンピック・パラリンピックの年*1 ではなく休止前の嵐が活動する最後の年になった。少なくともこの数日は。時間があくと、考えるともなく考えてしまう。
でも、自分の中で、嵐の実像が雲をつかむようになってしまっていることも感じた。それは、私が嵐に対していろんな意味で中途半端だからかもしれない。ファンとしての期間も、今の熱量も。何か書き出そうとしても、私の持っている情報は最新ではない気がして自信をもてなかった。*2
嵐とは、私にとってどんな存在なのか…。
そこで思いついたのがカレーだった。*3
今の私にとって嵐とは…カレー。
私はカレーに詳しくない。だからカレーを持ち出してきたのも、深く考察して選んだのではなく、あくまで私の中での符合。
けれど、カレーに置き換えると自分の感情を多少整理できる気がした。
と、いうわけで(?)、カレーの話をしようと思う。ただの私とカレーの話。
「カレー」が嵐、「具材」がメンバー、という謎のていで進みます。*4
「みんな大好きカレーライス」
もちろん好きじゃない人もいるだろうけれど。あと、この”みんな大好き”という表現には圧力を感じるので苦手だけれど。でも、まあ、そう言っても差し支えないかな、と思えるほどの”国民的”な定番食カレー。
具材はそれぞれおいしいけれど、煮込まれてカレーになるとますますおいしい。ご飯にかけてカレーライス、ナンと一緒にナンカレー、パンにはさめばカレーパン。(バラエティに、歌番組に、ライブにとマルチな活躍のカレー。)
繰り返しになるけれど、私はカレーに詳しくない。研究しているわけではないし、毎日食べてるわけでもないし、常にカレーのことが頭から離れないわけでもない。近所や立ち寄る場所にカレー屋があったら食べに行くけど、高級なカレーには手が出ない。有名店や人気店を常にチェックして、並んででも食べようというほどでもない。
でも、好きな食べ物は?と問われたら、私はカレーをあげる。それがどの程度の「好き」かは自分でも位置づけできないけれど、そう答える程度には「好き」。私の携帯には「カレー」という写真フォルダがあり、この頃登録したばかりのインスタでは「#カレー部東京」をチラ見している。*5
カレーは、だって、いつ食べてもおいしい。
時に未体験のスパイスを効かせてきて「お!挑戦的だな!このカレー、新しい!やっぱりカレーが好き!」となるときもあれば、時に具材の育成や調理のこだわり、歴史的背景などに触れて「は~カレーは奥深いな。そんな経緯があったのか…。稀有な存在だな~。やっぱりカレーが好き!」ってなるときもあり、懐かしい味には「うわ~やっぱりおいしい!カレーはいつでもずっと私の好きな食べ物だよ~。」となるときなんかもある。
で、この時のカレーはこういうところがおいしかったな、さらっとしたのよりは舌触りがあるカレーの方が好みだな、などとカレーについて素人なりに考えたりする。
そんな感じ。
カレーが食べられなくなることがあるなんて思わなかった。カレーがある日常が普通のものになっていた。ずっと食べられると、なんだかんだ一緒に歳を重ねて行けるものだと思ってた。(嵐のメンバーは「どう嵐を閉めるか」と考えることがあると語っていたので、彼らはフェードアウトするのではなく、いつか区切りをつける気なのだな、というのは感じていたけれど。それは「いつか」の話で、今ではないといつも思っていた。)
大野さんを…仮に玉ねぎとしましょう。
玉ねぎが「ちょっとカレーから離れたい」と。「いつも”おいしいカレー”になるために、人生を送ってきたけれど、一度カレーになることを考えず、根っこを伸ばしたりのびのび成長したり花を咲かせたり実をつけてみたい」と。
最終的に素晴らしくおいしいカレーになるために、玉ねぎがどれだけ心血注いで丁寧に育てられ、メンテに改良にと己をコントロールしてきたか…。それを想像しきれないまでも、精一杯想像すると、全くまっとうな願いだなと思う。彼はいわばアスリート。ハードな競技人生を送ってきた玉ねぎが代表を引退したいと言ったとして、「才能があるのに」「チームをどうする気だ」なんてカレーをおいしくいただいているだけの誰が言えよう。人生をかけて臨んできたからこそ、他のメンバーもそうだと知っているからこそ、自分の気持ちが最高に持っていけないと感じてきた中で、このままではパフォーマンスにも響くし、それは自分が人生をかけてきた競技やチームにも失礼だと考えてもおかしくない。そして、カレーのための食材としてではなく、一つの植物として、生命として生きてみたい、という願い。それを止められるわけもない。(本当に、大野さんの願いが叶わんことを…。体型維持なんて、いったんわきに置いておいて良いんだよ?と言いたいくらい。そして、「休止でもいいんだ!?」と思ってくれたことが何よりうれしい。)
で、他の4人の具材たちが「いや、玉ねぎがないと、俺たちの理想のカレーにはならないんだ。」と。「”カレー”と言えるものはつくれるし、玉ねぎなしでも何か別の方法で異なるおいしさを実現できるかもしれない。でも、それは俺らが目指すカレーじゃないんだ。」と。(そう、玉ねぎは大事、絶対。とろけちゃって形が残っていないときもあるし、入ってることが普通になっているけれど、カレーに入っている玉ねぎはすごくおいしい。カレーにとって縁の下の力持ち。なくてはならぬ存在。たまにごろんと丸ごと入っていて、メインをはることだってもちろんある!)
「だから、玉ねぎがまた他の具材とともに”理想のカレー”を志す気持ちになるまで、カレーは作らないでおこう。」と。「例えばジャガイモはポテサラになったりジャガバタになったり、にんじんは煮物になったりシリシリになったり、それぞれ料理の世界にはいるけど、カレーは作らないでおこう。」と。
わかる。本当に「わかる」ことは絶対に無理なのだけど、私なりにわかる。
そして、彼ら5人の判断に対して疑う気持ちはみじんもない。
だけど…だけど…。
2021年から、カレーが食べられないなんて…。
カレーがない世界になるなんて…。そんな………。
想像できない…。
「今までだって、無理せず食べられるときにカレーを食べてきただけだし、カレーに人生かけてるわけでもないでしょ?似たような料理、ハヤシライスやシチューでも食べてればいいじゃん。」と言われるかもしれない。
でもカレーの味はカレーにしか出せないんだよ!!
あるいは「2020年までのカレーをレトルトにしたり冷凍保存しておけば?」って言われたりするかも。
言われなくてもやる!でも出来立てのカレーにハフハフしてヤケドしたり、新しいタイプのカレーの一口目をドキドキしながら口に運ぶことはなくなっちゃうんだよ!!
今日はカレーにしようと思うとワクワクするし、カレーを楽しみに仕事したりする。好きなカレー屋がある駅が乗り換え駅だと昼食はここにしようってテンションが上がったり、カレーが食べたいな~なんて思って帰ると偶然にも家族がカレーを作ってくれているとすごくうれしい。カレーは何食続いても気にならない。家でカレー、外でカレーなんてこともある。この時のカレーおいしかったな~また食べに行きたいな~って妄想したり、カレーって本当においしいな~ってしみじみ幸せを感じたり…してきたの!
確かに私はカレーを食べなくても死なないかもしれない。
でもね、カレーが好きなの!
カレーがすきなんだよーーーーー。
今は、2020年の大晦日まで、なるべく逃さずカレーを食べていきたいな…と、その想いで頭がいっぱい。それぞれの具材がベストに調理されたカレーを。彼らの理想のカレーを。
まだ2021年からのことは考えられない。
…ただ、松本さんが「解散ではありません」と言い切り、二宮さんが「1回止まる」と表現し、相葉さんの「(また嵐を)”巻き起こす”でいいんだよね?」という問いかけに大野さんが「巻き起こしちゃいますか」と答え、翔さんが当然のように「復活はある」と笑ってくれたから、楽しみに待っていられるように、2021年を迎えるときにはなっていたい、と思っている。
書き終えて、しょーもないことを書いていると思った。ふざけてるみたいだし、嵐もカレーも好きじゃない人にとっては、なんのこっちゃな話だろう…。もう少し咀嚼できたら、嵐そのもののことも書いてみたい。けれど、今は無理。…という、ある日の私の記録として。